政治大変動の予兆か?-アフリカ北方の民衆パワー

平野克己
執筆者:平野克己 2011年1月17日
カテゴリ: 文化・歴史 国際 政治
エリア: アフリカ

 いま南部スーダンで独立を問う住民投票が行われている。1月9日に1週間の予定で始まったが、投票が殺到していることから延長されたようだ。独立賛成票が多数となるのは確実視されている。この独立投票は、南北内戦を終結させた2005年和平協定の目玉だった。ハルツームの政権は抵抗したが、アメリカが説得した。
 南北内戦終結後、副大統領として入閣した(南部)スーダン人民解放軍のガラン最高司令官は、独立よりも南北融和の統一スーダンを考えていたといわれる。しかしガランは、副大統領就任直後に、彼を支援してきたウガンダのムセヴェニ大統領と会談した帰路、乗っていたヘリコプターが墜落して亡くなった。ガランの死後、南部スーダンは独立の方向に急傾斜した。

 スーダンは複雑な国だ。北部のナイル川流域には紀元前にクシュ王国が栄え、エジプトを征服していたこともある。エジプトを離れたのちはメロウェに首都を構えていた。有名なメロウェ遺跡があるところだ。ここではいま、中国が巨大ダムを建設している。
 近代に入ると、当時オスマン・トルコ帝国の支配下にあったエジプトに占領された。そのエジプトは19世紀後半、実質上イギリスに支配されたから、「エジプト領スーダン」はトルコ、エジプト、イギリスの錯綜した従属関係の下にあった。そこに、北部スーダンのナショナリズムともいうべき、イスラーム神秘主義の「マフディー(救世主)運動」が起こる。マフディー運動は外国勢力を駆逐して、ハルツームにマフディー政権を建てた。
 このときハルツームで、イギリスのゴードン将軍が斬首されている。イギリスの報復を受けてマフディー政権は倒されるのだが、これがきっかけとなってイギリスのアフリカ大陸侵攻が本格化した。スーダン侵攻軍を指揮したキッチナー将軍が、ス-ダン征服後南アフリカのボーア戦争に転戦して勝利したころには、アフリカ大陸の列強分割が完成したのである。アフリカ分割の過程で、大陸を縦断南進するイギリスと横断東進するフランスが出会って一触即発の事態となったのも、スーダンのコドク(ファショダ事件)だった。アフリカの近代植民地化はスーダンから始まったといえる。

この記事は役に立ちましたか?
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
この記事をSNSにシェアする
執筆者プロフィール
平野克己
平野克己 1956年生れ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院経済研究科修了。スーダンで地域研究を開始し、外務省専門調査員(在ジンバブエ大使館)、笹川平和財団プログラムオフィサーを経てアジア経済研究所に入所。在ヨハネスブルク海外調査員(ウィットウォータースランド大学客員研究員)、JETRO(日本貿易振興機構)ヨハネスブルクセンター所長、地域研究センター長などを経て、2015年から理事。『経済大陸アフリカ:資源、食糧問題から開発政策まで』 (中公新書)のほか、『アフリカ問題――開発と援助の世界史』(日本評論社)、『南アフリカの衝撃』(日本経済新聞出版社)など著書多数。2011年、同志社大学より博士号(グローバル社会研究)。
comment:0
icon
  • 記事の閲覧、コメントの投稿には、会員登録が必要になります。
フォーサイトのお申し込み
注目記事ランキング
  • 24時間
  • 1週間
  • f
  • 新着
  • 高評価
  • コメント数順