中東―危機の震源を読む (77)

カイロからアレクサンドリアへ──革命の政治地理学(革命エジプトのフィールドノート1)

[カイロ-アレクサンドリア発] 3月半ばから4月初めにかけて、カイロを拠点にアレクサンドリアへも足を伸ばして、革命後のエジプト社会を観察している。このエジプトの2つの主要都市でのフィールドノートを、随時掲載していきたい。これらは、私が毎年アラブ諸国に出かけて行って、視覚・聴覚、さらに嗅覚や触覚を張り巡らせて、感じ取ろうとしてきた項目の一部である。結局は、中東政治の先を見通せるようになるとは、この地域の社会の雰囲気とリズムを感じ取れるようになることに他ならない。
 私が注目する点は、時に、日常の断片にしか見えないものもあるかもしれない。短期的には、ビジネスにも政治分析にも直結しない瑣末な事象にも見えるだろう。しかし何十年に1度やってくる、政治構造を質的に組み替えるような激動は、これらの小さな変化の積み重なりの結果として生じてくる。普段から社会の隅々の表象の変化に目を凝らしておかなければ、いざ大きな変化が生じた際、即座に感じ取ることができないのである。
 私の視点は、いわゆる「アラビスト」の見方とは似て非なるものと考えている。「アラビスト」は、往々にして語学や文化を通じて地域との関係を作る。それは大事なことなのだが、それだけでは対象をとらえきれない。政治構造や社会階層の変動を測定し、理念的な変化を読み取っていく分析枠組みと組み合わせることで、言語・文化からのアプローチは生きてくる。
 私の現地調査とは、個々の文化的事象・表象から、社会の根幹における理念の変化や政治的支配構造の変化を迫るような、複数の社会階層の関係性の変化を読み取っていこうとアンテナを張るものである。細かな観察の限りない積み重ねの果てに、対象とする世界が実際に目の前で構造変化を始める瞬間にめぐり合うことは稀である。その稀な瞬間に立ち会うことができるのは、研究者としてこれほどの喜びはない。
 瑣末な事実そのものに意味があるのではない。個々の事実に通底する、社会を方向づける理念に注意深く目を凝らし、耳を澄ますことが大事である。単に「歩いて」「話をする」だけでは、意味ある調査とはならない。見て聞いたことを位置づけ、意味づける適切な概念枠組みを常に「考え」、組み立て直していかなければならない。「フィールドワーク」の大部分は、実は1人で考えることに他ならない。「地域専門家」には、意外にこれができていない人が多い。「フィールド」に酔ってしまい、現地調査が自己目的化してしまうのである。その間に現実はすり抜けて先に行ってしまう。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
池内恵(いけうちさとし) 東京大学先端科学技術研究センター グローバルセキュリティ・宗教分野教授。1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より東京大学先端科学技術研究センター准教授、2018年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、『【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』 (新潮選書)、 本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』(同)などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。
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