中国を抱き込んでも拡大する北朝鮮の戦略的矛盾

2011年6月24日

 北朝鮮は、2006年7月5日未明より、7発の弾道ミサイルを発射した。米国時刻で7月4日、独立記念日である。その狙いは、スカッド、ノドンに加え、実験には失敗したものの、長射程の新型ミサイルを用いた同時攻撃によって、韓国、日本、グアムの米軍基地を一気に制圧する力があることを誇示するものだった。同年10月9日に、核実験を実施したが、その日は奇しくも、コロンブス・デイに当たる。

 2009年4月5日には、ハワイに向けた新型ミサイルの実験を行い、同年5月25日には、2度目の核実験を行った。遡れば、北朝鮮は、1993年核拡散防止条約(NPT)脱退宣言の直後にも、日本海に向けてミサイルを発射している。この時は、NPT脱退宣言を行ったものの、実際は脱退とはならず、やがて米朝枠組み合意へとつながり、「危機を演出して譲歩を引き出す」北朝鮮の対米戦略の原型となった。

 このように、北朝鮮は、核とミサイルのセットで危機を演出し、米国との直接交渉を促してきた。それは、金日成死去を受けて権力を引き継いだ金正日の政権基盤を固める意味があった。一方、2009年の核実験に対しては、国連安保理の制裁決議が6月12日に採択され、中国を除く各国の制裁によって、深刻な経済的打撃をうけた。

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