東北で「復興のスピード感」を考える

寺島英弥
執筆者:寺島英弥 2011年8月25日
カテゴリ: 社会
エリア: 日本

 3月11日の東日本大震災の発生以来、河北新報の同僚たちと東北の被災地の取材に歩いてきた。「あの日」から時計が止まった感覚が続き、東京発のニュースで聞く「復興」とは何なのか、しばしば考え込んできた。そんな折、東京で活動するライター/エディター野田幾子さん(山形県出身。フリーダイビングの世界などを取材)から誘いがあった。
 東日本大震災を、被災地から遠い東京でどう受け止め、被災者とどうつながれるか――をコンセプトに、毎月、震災とさまざまに関わる人々を語り部に招き、参加者を交えた公開インタビューを行なう、との企画。語る、聴く、議論する、共有する、そして記録する、サイト(準備中)から発信する、題して“RELATION relay Talk Project”。その活動を「2年間は継続していきたい。それが震災を風化させないこと」にもつながると、同じ東北人の野田さんは言う。

早かった神戸の歩み

 第1回は8月6日。会場となった東京・赤坂のレストランに、「阪神・淡路大震災から今、何を学べるか?」をテーマにした議論の場が生まれた。壇上に座ったのは、1995年以来、神戸新聞社会部で震災報道に携わった宮沢之祐記者と筆者。16年を隔てた2つの震災をめぐる対談形式の相互インタビューを試み、メディアに関わる人、震災をどう受け止めるかを考える人、被災地の支援に関心を持つ人、研究者や大学生ら30人が参加した。
 この日、広島原爆忌の6日は、3月11日の震災発生からおよそ5カ月が経過していた。95年の神戸は、震災から5カ月後にどのような状況だったか? 宮沢さんによれば、「鉄道運行が再開し、4万8300戸の仮設住宅が建設されて被災者の引っ越しが始まった。それに先立つ2カ月後には、市が大規模な区画整理を決定し、住民に提示していた」という。
 あらためて驚いたのは、その歩みの異常なほどの早さだ。「幸か不幸か、街が崩れました」「残念ながら、まだら焼けでした」といった役所内部の会話が当時うわさされたというくらい、市は基盤整備を急いだ。長田区の古い商店街跡に大型テナントビルが建ち、入居者のない空きスペースが現在も目立つ。仮設住宅には1人暮らしの高齢者ら弱い人々がどんどん優先的に入れられ、後身の「災害復興住宅」を含め、「孤独死」が200人を超えた。区画整理への賛否をめぐり地権者と借地借家人の間で対立が起き、「住民」が分断された。それを「復興」と呼んでいいのかどうか、と2011年の今、感じざるを得なかった。

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執筆者プロフィール
寺島英弥
寺島英弥 河北新報編集委員。1957年福島県生れ。早稲田大学法学部卒。東北の人と暮らし、文化、歴史などをテーマに連載や地域キャンペーン企画に長く携わる。「こころの伏流水 北の祈り」(新聞協会賞)、「オリザの環」(同)、「時よ語れ 東北の20世紀」など。フルブライト奨学生として2002-03年、米デューク大に留学。主著に『シビック・ジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙』(日本評論社)、『海よ里よ、いつの日に還る』(明石書店)。3.11以降、被災地における「人間」の記録を綴ったブログ「余震の中で新聞を作る」を更新中。
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