「ナイジェリアから追放された百万人のガーナ人が徒歩で帰還しつつあった。われわれは危機的状況にあった」
当時ガーナの農業大臣を務めていたオビンペ氏のスピーチで記憶がいっきによみがえった。アフリカの内陸国マリで先週開かれた、笹川アフリカ協会創立25周年記念シンポジウムでのことだ。
1980年代初頭にアフリカを襲った大旱魃をきっかけにして、日本財団(当時は日本船舶振興会)の出資で、緑の革命の実行部隊がアフリカに乗り込んで食糧生産性向上運動が始まった。ジンバブエ日本大使館での任期を終えて帰国した私は、そのプロジェクトのもっとも若いメンバーとして加わった。「アフリカのハムレット」といわれていたジェリー・ローリングス率いる革命政権下のガーナは、このプロジェクトを積極的に誘致して、プロジェクトの最前線にして先端成長点になった。原油価格の急速下落でサブサハラ・アフリカ経済は崩壊寸前、なかでもオイル景気で潤ってきたナイジェリアへの影響は大きく、国民雇用対策としてナイジェリア政府は、最大の外国人労働者だったガーナ人を追放するという暴挙に出たのである。ローリングス政権は、農村の雇用吸収力と所得能力を急いで引き上げる必要に迫られていた。
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