「人間の安全保障」論の陥穽

執筆者:平野克己 2011年12月18日
エリア: アフリカ

 開発援助政策は「なぜ援助するのか」の理由を探しながら進められているが、ひとつの理由が危うくなると、援助を削減するのではなく、また新しい理由を探すのだ。こんな政策はほかには存在しない--1960年代にサミュエル・ハンチントンはこう言っていた。

「人間の安全保障」という考え方がある。安全保障の主語はいつも国家だったが、国家安全保障の名の下に人権が蹂躙される例は事欠かない。保障されるべきは人間であって国家であるべきではない、という考え方だ。まったくもって正論である。2001年に「人間の安全保障」委員会が創設され、緒方貞子とアマルティア・セン両氏が共同議長に就任して、この理念は国際社会のなかにビルトインされた。日本のODA大綱のなかにも明記されている。
 高い理念ほど凡人には足元しか見えなくなる。「人間の安全保障」理念からどのような開発プログラムを作るかという、いってみればラベル貼りが始まることになった。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
平野克己(ひらのかつみ) 1956年生れ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院経済研究科修了。スーダンで地域研究を開始し、外務省専門調査員(在ジンバブエ大使館)、笹川平和財団プログラムオフィサーを経てアジア経済研究所に入所。在ヨハネスブルク海外調査員(ウィットウォータースランド大学客員研究員)、JETRO(日本貿易振興機構)ヨハネスブルクセンター所長、地域研究センター長などを経て、2015年から理事。『経済大陸アフリカ:資源、食糧問題から開発政策まで』 (中公新書)のほか、『アフリカ問題――開発と援助の世界史』(日本評論社)、『南アフリカの衝撃』(日本経済新聞出版社)など著書多数。2011年、同志社大学より博士号(グローバル社会研究)。
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