タイ華字紙の河村発言批判

執筆者:樋泉克夫 2012年3月7日
エリア: アジア

 香港における行政長官選挙を話題にした際、「事あるごとに激しい日本批判の社説を展開するタイの有力華字紙『世界日報』も、河村発言には沈黙したまま」と綴っておいたが、3月2日になって、やはり「世界日報」は「日本の愚民教科書がアホな市長を育て上げた」と題する挑発的な河村発言批判の社説を掲げたのである。以下、些か長文だが可能な限り忠実に訳してみた。
 
 ――日本の名古屋市長の河村たかしが20日、中国南京市代表団と歓談した際、「南京大虐殺は存在しなかった可能性は極めて高い。犠牲になった人々の数は正常の戦争での死亡にすぎない」と表明した。この史実を歪曲した主張が飛び出したことで、南京市政府は直ちに名古屋市政府との間の一切の公式交流を停止するよう指示した。
 日本の名古屋市と中国の南京市の関係は殊に深いが、それは米・日・中の国交正常化の大きな扉を開いたピンポン外交の舞台となったからだ。米・日・中外交史上の大きな功績であり、それゆえに南京は姉妹都市関係を結んだのである。この外交的成果からちょうど40年となる。今回の南京市代表団の名古屋訪問は名古屋市政府との間の姉妹都市成立40周年を祝う大小さまざまな祝賀行事準備のためである。ところが誰も想像できなかったことだが、名古屋市長の河村たかしはあろうことか想像力の働かないアホな脳味噌の持ち主だった。誰もが歓迎すべき絶好の機会を台無しにしてしまったのだ。
 日本の中国侵略軍は南京攻略に当たり、軍隊に徹底した焼・殺・淫・掠を下命し、僅か数日で約30万人にのぼる中国軍民とか弱い婦女を殺害した。南京大虐殺は世界中の人々が知る空前の惨事である。殺し尽して頭が狂ってしまった多くの日本軍人が片手に刀を、片手に10数個の人の頭を持ち撮影させた写真は、いまや世界中に流布している。証拠は山のようにあり、弁解の余地はない。河村は「南京大虐殺は存在しなかった可能性が極めて高い」とするが、彼は子供の頃から騙されてきたのだ。それというのも日本の教科書は、この事件に言及していないし、甚だしきに到っては「侵華」の2文字を「進入」で置き換えている始末だ。これまで日本の軍隊は「侵入」したことはなく、彼らの軍隊が中国に到ったのは、ただ「進入」しただけということになる。日本は教科書を使って民を愚かにしてきた結果、河村のような喩えようのない愚か者を作り出してしまったわけだ。
 20日にこういったバカバカしいばかりの話をした後、河村は日本の世論の湧き起こる反攻に直面した。たとえば東京新聞は社説で、直ちに発言を撤回し中日外交に影響を与えないよう求め、産経新聞も謝罪を勧めた。大阪市長の橋下徹も歴史的事実を考慮せず自らの思いのままの発言と叱責した。内閣官房長官の藤村修は、当時、日本軍は南京で非戦闘員を殺害し略奪を行なったことは否定し難い事実だと語り、河村に直ちに謝罪するよう促した。だが、河村は現在に到るまで自らの誤りを撤回してはいないし、謝罪もしていない。彼は頭脳に問題を抱えたバカだろうか。当然、そうではない。日本はでっち上げた児童向けの教科書を使って、すでに人々の心にウソを深く刻んでいるのである。河村があのような話をする時、彼は真実と思い込んでいる。人を騙しているのではない。だから彼は「生気堂々」「心に疚しいことなし」の心意気をみせているのである。
 今日のような情況が生まれた理由を考究すれば、自分勝手な蒋介石に行き当たる。1943年11月22日、中・米・英の三巨頭によるカイロ会談でアジアの領土をどのように按分するかを討議した際、ルーズベルトは蒋介石に中国は軍を派遣して満洲(つまり中国の東三省)、澎湖、台湾、さらには琉球、沖縄、朝鮮、ヴェトナムを占領するか否かを問うた。というのも、それらの地域はかつて中国の属領だったからだ。だが蒋介石は東三省、台湾、澎湖の回収を示すのみであった。それゆえに琉球はアメリカが代わって一定期間管理した後、最終的に日本に返還したわけだ。当時、蒋介石が一言口をきいていたら、今日の釣魚島問題などありえようがなかっただろう。
 さらにいうなら、このような情況をもたらした責任は、アメリカが日本に派遣した最高司令官のマッカーサーにある。彼は日本人を安心させるため、同時に日本を利用してソ連を防御するため、日本天皇の裕仁の戦争犯罪を免除することを主張し、首相の東条英機に一切の罪を負わせた。東条は天皇に代わって死んだ。心穏やかな死であり、光栄ある死であった。突き詰めれば武士道は主君に対する忠義であり、武士たるもの主君のために死すことは最高の栄誉なのだ。それゆえ日本では戦後、このような戦時中の死者に対し靖国神社を建立し、毎年、丁重なる祭礼を行なっているが、侵略を受けたアジアの国々(中国を含む)は極めて不愉快に思うのである。
 ドイツにおける情況は日本とは全く異なる。戦争が収束するや東西ドイツは直ちにヒトラー・ナチスの思想と組織を否定し、ナチ党が非合法団体であることを宣言し、全てのナチス組織とナチスの言論を非合法とした。このような果断な措置こそが、ナチスを徹底して取り除いたのだ。――
 
 いま、この社説の内容に立ち入って詳細に論じるつもりも、史実の誤りを指摘するつもりもない。だが、東南アジア華人社会ではこう考えるメディアが一定の支持を得ているという事実を示しておきたいし、日本人は銘記しておくべきだろう。東南アジア華人の心の奥底に、その濃淡の違いはあれ、あるいは口にするしないの別はあれ、この社説に示されたような考えが依然として消えてはいないことを、日本人は忘れてはならないと強く思う。

カテゴリ: IT・メディア
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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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