国際人のための日本古代史 (28)

見つかった「最古の戸籍史料」と天武天皇

執筆者:関裕二 2012年7月25日
タグ: 日本

 福岡県太宰府市の国分(こくぶ)松本遺跡から見つかった7世紀末の木簡は、考古学上の大発見となった。それが、国内最古の戸籍史料だったからだ。
 最初の戸籍を作ることは、想像以上に困難な作業だったはずだ。戸籍は、統治システムを入れ替えるために必要だったからだ。多くの血が流され、政権も入れ替わっている。極論すれば、大化の改新(645)や壬申の乱(672)の原因も、戸籍をめぐる争いだったのである。
 これまでに見つかった最古の戸籍史料は、東大寺正倉院に伝わった西暦702年のものだった。これは、本格的な律令制度、大宝律令(701)が導入された直後のものだ。これに対し今回見つかった木簡は、「嶋評(しまのこおり)」や「進大弐(しんだいに)」の記述から、西暦685-701年の間に作られたことがわかった。「評」は行政単位で、西暦701年に呼び名が「郡」に変更された。もうひとつの「進大弐」は冠位で、西暦685年から使われ始めたものだからだ。
 そこで注目されたのが、庚寅年籍(こういんねんじゃく)だ。持統3年(689)、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)が発布され、その翌年の庚寅の年に、戸籍が作られた。これが庚寅年籍で、以後6年ごとに、戸籍を作り直す作業が始まった。そして、今回発見された木簡は、庚寅年籍をもとに、異動の実態を把握し書き留めたものだったのである。

カテゴリ: カルチャー
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top