シンガポールで進むリー・クアンユーの「栄光の歴史」作り

執筆者:樋泉克夫 2012年9月21日
エリア: アジア

 シンガポール中央部の高台に、タントクセン病院の高層ビルが威容を誇っている。創立は1844年というから、清朝が黄昏に向けて転がるキッカケとなったアヘン戦争の開戦から4年後、香港島をイギリスに割譲した南京条約締結の2年後のことだ。福建から渡ってきた陳篤生(タン・トクセン)が貧しい華僑労働者のために開業したチッポケな慈善医院が前身で、その後、成功した華僑商人や英国植民地総督の資金援助を受け、170年ほどが過ぎた現在では、最高の設備とスタッフを備えた近代的総合病院に変容している。

 病院の正面玄関を出て左に折れて坂をしばらく下ると、小さいながら整備された公園に突き当たる。シンガポールだが、なぜか辛亥革命を指導した孫文の号である中山に因んで「中山公園」という。公園の中央に置かれた高さ5mほどの薄茶色の自然石には「一個改変中国命運的人(中国の命運を変えた人)」と、孫文を讃える文字が刻まれている。1997年4月というから香港返還の3カ月ほど前に、李光耀(リー・クアンユー)が揮毫したものだ。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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