中国「凄まじき権力闘争」 「合法性」を盾に上海グループを追う胡錦濤の凄み

執筆者:伊藤正 2004年10月号
エリア: アジア

[北京発]「日本も頑張ったな。ところで日本はいくつ『金』を獲ったんだっけ」 八月末の夜、顔見知りのタクシー運転手は、アテネ五輪での中国の活躍に上機嫌で余裕さえ見せた。首位の米国に肉薄する金メダル獲得(三十二個)で、サッカー・アジア杯での鬱憤は晴れたようだった。多くの中国人は、四年後の北京五輪への期待を膨らます。「新浪ネット」のアンケートに、過半数が北京五輪で「米国を抜きトップになる」と答えた。 かつてトウ小平氏は「(メダルは)経済力の反映」と語ったことがある。一九七九年の五輪復帰後、八四年のロス五輪で競技に初参加した際の言葉だ。その頃からトウ氏は五輪誘致を構想していたという。こちらはメダルを獲るより難しい。北京が初名乗りをあげた二〇〇〇年五輪開催地選定(九三年)では、シドニーに惜敗、トウ氏は落胆しながら「失敗を教訓にし、再起を図れ」と指示したとされる。

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