中国・台湾で日本以上の話題になった王羲之の新写本

野嶋剛
執筆者:野嶋剛 2013年1月30日
カテゴリ: 国際
エリア: 中国・台湾

「王羲之の書の写本が見つかりました」。新年を迎えて数日たった日、NHKの9時のニュースが報じたとき、「うわさは本当だった」と思った。東京国立博物館でいま開かれている特別展「書聖 王羲之」で王羲之にまつわる新しい発見が明らかにされるといううわさは、11月ぐらいから耳にしていたが、真偽のほどはつかめなかった。

書聖と呼ばれる王羲之は書道史上最大の巨人である。しかし、真跡は一枚も残っていない。ほぼ正確に字姿をいまに伝えるのは、専門の書家が作成した「摹本」と呼ばれる精巧な写本しかない。かつて清の乾隆帝が「天下無双」とほめたたえ、作品の中に「神」と書き込んでしまった台北故宮所蔵の「快雪時晴帖」も極めて精巧な写本である。

今回の写本はタテ25・7センチ、ヨコ10・1センチの紙に3行24文字が書かれ、「(便)大報期転呈也。知/不快。当由情感如佳。吾/日弊。為爾解日耳」とある。手紙の一部が残った「断簡」で、通常、最初の二文字を取って名前がつけられるので、この写本は「大報帖」と呼ばれることになるのだろう。

今回の写本は7~8世紀の唐代に制作されたと見られるが、当時の日本は奈良時代で、繁栄の極みにあった唐に対して、ありとあらゆるものを学ぼうと、10~20年に一度、遭難の危険を冒しながら繰り返し遣唐使の船を派遣し、中国から多くの文物を持ち帰った。そのなかに書道のお手本となる王羲之の写本が大量に含まれていたとされる。唐の太宗は特に王羲之を崇拝し、多くの写本を作らせたと言われるが、その一部を遣唐使は譲り受けたのだろう。王羲之の写本は天皇家に保管され、後に東大寺などに移管され、順次、民間に下賜されるなどして広く日本社会に流出していった。日本の書道は王羲之から学び、王羲之をすべての基本と考え、発展を遂げてきたのである。

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執筆者プロフィール
野嶋剛
野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。
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