ブックハンティング・クラシックス
ブックハンティング・クラシックス(62)

明治期の日本人が見たインドシナ半島の中国人たち

樋泉克夫
執筆者:樋泉克夫 2013年2月21日
カテゴリ: 国際 文化・歴史 書評
 『シャム・ラオス・安南 三国探検実記』
『シャム・ラオス・安南 三国探検実記』

岩本千綱著
中公文庫 1989年刊
(原本の『暹羅老撾安南三国探検実記』は博文館より 1897年刊)

 我が国と東南アジアとの関係を考える時、これまでも、これからも、その中心に見据えなければならないのは、やはり中国をルーツとする華僑・華人と呼ばれる存在だろう。「愛国僑胞」と呼んで彼らとの連係をテコに自らの経済建設を進めてきただけに、中国が彼らとの関係強化に腐心するのは自明のこと。「愛国僑胞」もまた中国当局との結びつきをテコに、中国市場はいうにおよばず東南アジアでのビジネスを有利に展開しようと模索する。

 であればこそ、彼らの振る舞いをどのように見定め、どのように対応すべきか――政府のみならず企業であれ個人であれ、我われ日本人が東南アジアと向き合う際に真正面から取り組まなければならない永遠の難題といっていいはずだ。だが短兵急に結論を求めては問題の本質を見誤り易い。歴史的に振り返ってみることもまた大切な作業と思える。そこで最初の試みとして、日本人が彼らを「支那人」と呼び、タイがシャムと名乗っていた時代に遡ってみたい。

 

「シャム・ラオス・安南」を跋渉した2人の明治人

 いまから120年ほど昔の明治29年(1896)12月20日、岩本千綱と山本鋠介の2人の日本人が「シャム〔暹羅〕国バンコック〔磐谷〕府を発し、翌三十年四月九日、安南国〔ヴェトナム〕東京(トンキン)〔北ヴェトナム〕ハノイ府に出でた」。彼らが「通過せしはシャム、ラオス〔老撾〕、安南三国跋渉(ばっしょう)せし山河は無慮(ぶりょ)一千二百七マイル、ために一百十一日の日子を費や」す。岩本は、インドシナ半島での旅行の道すがら、各地で接した「支那人」の姿を『シャム・ラオス・安南 三国探検実記』に書き遺している。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫
樋泉克夫 愛知大学教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年より現職。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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