“熱帯への進軍”最前線を歩く(11) 人民政府前で考えた「不正・腐敗」という中国人の本質

執筆者:樋泉克夫 2013年11月14日
エリア: アジア
 芒市人民政府の立派な正門(著者撮影)
芒市人民政府の立派な正門(著者撮影)

 ミャンマー北部・東北部と国境を接する雲南西部辺境を歩くと、清朝末期の中国への進攻に賭けたイギリスの野望の痕跡がみられる。そこでイギリスが1899年に領事館を置いた騰冲(かつては騰越と呼んだ)へ向かうことにした。

「滇緬公路は、龍陵の街を貫いて東山の前方に延び、そこで三叉路になる」

「右へ行けば拉孟に至る。左が騰越へ行く道である」

 と作家の古山高麗雄が『龍陵会戦』(文春文庫、2003年)で綴っているように、龍陵市街の中心を貫く大通りを東に抜け、突き当りの三叉路を左折して進めば騰冲に行けると考えていた。だが、現地の案内役の話では、龍陵から騰冲の間の道路事情が悪く、走行は無理とのことだった。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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