中内功が宿していた“熱狂”

執筆者:喜文康隆 2005年11月号
カテゴリ: 経済・ビジネス

「『無礼講』で無化される『礼』とは、太平記でいう『上下』の礼であり、『衣冠』や『烏帽子』で表示される世俗的な身分や序列である」(兵藤裕己『太平記〈よみ〉の可能性』)     * 九月十九日に中内功の突然の訃報に接して虚脱感に襲われているところへ、関係者の言動を聞くに及んでつくづく中内の孤独を思った。 大規模な店舗閉鎖を展開中のダイエー経営陣が中内の社葬を行なわないと決めたことを、九月二十三日付の朝日新聞が伝えている。 ダイエーの公式コメントは「中内氏はすでにすべての役職を退任している。(唯一彼が関係していた)流通科学大学が行なう学園葬を尊重したい」というものだった。昨年末に「ファウンダー(創業者)」という役職から退いたことで、中内とダイエーの間には何の関係もなくなった、とこの記事は補足している。 だが、どう理屈をつけようとも創業者は創業者に変わりない。名誉職を辞したかどうかなど、どうでもいいことではないのか。ダイエーの再建に中内功というブランドを使う千載一遇のチャンス(それを中内自身も望んでいただろう)を、小さな「合理的主義者」たちはみすみす逃した。 長男の潤をはじめ親族側も、ダイエーの現経営陣が中内の葬儀に関わることを拒否したと聞く。排除された恨みに凝り固まった一族の方は、位牌を小さな世界に閉じ込めることで、自ら中内功の後継者たり得なかったことを証明している。

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