中山素平―企業家を探しあぐねた生涯

執筆者:喜文康隆 2006年1月号
カテゴリ: 経済・ビジネス 金融

「話したり書いたりしたもので、ぼくが『資本主義』という言葉を使ったことはない。『自由主義経済』とは言っても。いまでも資本が中心の資本主義なんか、あるべきじゃないと思っている」(城山三郎『運を天に任すなんて―人間・中山素平』)     * 中山素平は作家の城山三郎に、「あなたはゲテモノが好きだねえ」と言った。城山が本田宗一郎や東急の五島昇、あるいは日本信販の山田光成など、型破りの役者ばかりに好んで目を向けるからだ。そして中山は「ぼくなんかも、そうかも知れんけど」と呟いた。 共産党から右翼へと転向した田中清玄とは、戦後早くから資源獲得を国策化することで意気相投ずる仲だった。アラビア石油の山下太郎、そして財界の盟友となった日本精工の今里広記……。昭和二十六年(一九五一年)、日本興業銀行から日本開発銀行(現日本政策投資銀行)中枢に身を投じ、興銀に復して頭取・会長を歴任、経済同友会の代表幹事にも選ばれた昭和四十年代までを中山の現役時代と仮に括れば、そこで深く親しんだ人々は、多くが「経営者」の鋳型に収まらなかった。 中山を語る者が必ず、そして躊躇いがちに触れる「清濁を併せ呑む大物」たちとの交流。だが非合理的情熱で既存秩序を撹乱し「革新」を担う少数者を、シュンペーターは「企業家」と呼んだ。東京商科大学(現一橋大学)で「景気変動理論における金融中心説の一考察」という、いかにもシュンペーターの影が濃い卒論を書いた中山は、そんな個性豊かな企業家たちを愛したのだ。

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