時間の重みを思い知らせた「記憶のパレット」の赤ペンキ

執筆者:窪島誠一郎 2006年8月号
カテゴリ: 文化・歴史

 一昨年の夏、私が九年前から営んでいる戦没画学生慰霊美術館「無言館」(長野県上田市)の前庭に、「記憶のパレット」と名付けられた慰霊碑が建立された。縦二・六メートル横三・六メートル、中国山西省から取り寄せられた重量二十三トンにもおよぶ黒御影石の碑面には、戦時中東京美術学校(現在の東京芸大)に在籍していた学生たちの「授業風景」が篆刻され、その下に戦没画学生四百余名の名が刻まれている。 ひとくちに「戦没画学生」といっても出身校はさまざまで、東京美術学校の他、現在の多摩美大、武蔵野美大の前身である帝国美術学校、あるいは京都絵画専門学校、そして独学で絵を学んでいた学生らも多数ふくまれている。いずれも先の日中戦争、太平洋戦争などに学業半ばで駆り出され、そのまま戦場から還ってこられなかった「画家の卵」たちの名である。 慰霊碑の制作を請け負ってくれたのは、たまたま地元上田市の駅前開発を手がけていた茨城県真壁市のS石材店だったが、要望通りの重量感、表面積をもった石材が日本では調達できず、結局中国華北地区の山西省の山から切り出してきた良質な黒御影石を福建省厦門市にある石彫工場まで運び、中国工芸学校を卒業した「陰陽職人」とよばれる画工たちの手によって碑面の「授業風景」が篆刻されることになった。パレットを形どった巨大な石の上にバッタのように張りつき、篆刻刀を握って「太平洋戦時下の美校生」の姿を碑面に彫りこんだのは張亜麗さん(二十四歳・女性)、王輝陽さん(二十五歳・男性)、劉麗玲さん(十九歳・女性)の三人。かつて中国兵の銃口の前にいた日本人画学生の「授業風景」を、当時のかれらとほぼ同年齢である現代中国の若い青年画工たちが一心に篆刻している姿に、立ち会った私はただただ胸をあつくしたものだった。

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