中東―危機の震源を読む
中東―危機の震源を読む(28)

千年河清を俟つごときイラクの現状と曙光

池内恵
執筆者:池内恵 2007年4月号
カテゴリ: 国際
エリア: 中東

 二〇〇七年に入って以来、中東を観察することを生業にしている人間にとってはいわば「凪」の状態が続いている。「中東情勢異状なし」――と一行で終わらせてしまいたくなることもある。もちろんこれはレマルクの小説『西部戦線異状なし』をもじった表現である。そして、前線では陰惨な死の光景が現出されているにもかかわらず、個々の死の持つ政治的な意味が弱まり、殺戮の合間に不思議な休息の瞬間が訪れる、という点でもレマルクの小説とイラクの状況は似通ってきている。一回のテロで数十人の死者がでることが、政治的にはほとんど意味を持たなくなり、ニュースとしても平凡な扱いしかなされなくなって久しい。 英BBCテレビが映し出す「いつもの」自爆テロの報道で、わずかに一瞬、各国のイラク・ウォッチャーの視線を奪い、郷愁を誘ったのは、三月五日のムタナッビー通りの爆破だ。『ワシントン・ポスト』は、十、十二日と相次いでこれを取り上げた。 十世紀の詩人ムタナッビーの名を冠したこの通りには書店が立ち並び、文人やジャーナリストの集う場所として知られた。カフェでフセイン政権への抵抗の実らぬ謀議が囁かれたこともあったという。バグダード陥落直後、各国ジャーナリストがここにつめかけ、「解放された」知識人を質問攻めにしたものだった。しかし、テロの標的にされて活況を失い、今回のテロによってついに通り全体が灰燼に帰したという。

この記事は役に立ちましたか?
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
この記事をSNSにシェアする
執筆者プロフィール
池内恵
池内恵 東京大学先端科学技術研究センター准教授。1973年生れ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。
comment:0
icon
  • 記事の閲覧、コメントの投稿には、会員登録が必要になります。
フォーサイトのお申し込み
注目記事ランキング
  • 24時間
  • 1週間
  • f
  • 新着
  • 高評価
  • コメント数順