生きるために「読み」「書くこと」で生きる

執筆者:梅田望夫 2007年6月号
タグ: イタリア 日本

 シリコンバレーで独立したのが一九九七年五月一日だったので、とうとう十年という歳月が流れていったことになる。
 九七年三月末、「ようやく会社を辞める決心がついたので、退社の意向を私のボスに伝えるために明日東京に向かうことにした」と書き、本誌編集部に送った。本連載第八回(『シリコンバレー精神』所収)のことだった。退社についてのボスとの話し合いの結果にかかわらず、そんな私の文章が載った雑誌は四月中旬には出てしまう。今から考えれば無謀なことをしたものであるが、そのときの私にとっては、その文章を「書くこと」が、独立に向けて「退路を断つ」儀式だったのである。
 十年前に私は、なぜ「独立したい」と強く願ったのだろうか。
 むろん理由は一つではない。勤めていた大組織の階段を上るにつれ、会社の経営がじつに政治的に行なわれているのが見えてきたこと。「自分にも何かできるのではないか」という「シリコンバレー病」とも言うべき高揚感が湧き上がってきたこと。同じ苦労するなら成功したときの経済的リターンが大きい道を選びたいという打算。仕事絡みではそんな要素が混じりあっていたが、何かそれだけでは説明し尽くせない「内からの促し」の存在をずっと感じつつも、うまく言葉にしきれずにいた。
 じつは昨年末、日本経済新聞読書欄で四回の連載を依頼され、これまでにぼろぼろになるまで読んだ愛読書を四冊選ぶ作業に没頭し、当時の「内からの促し」の正体を発見した。結局その連載のためには『バビロンの流れのほとりにて』(森有正著、筑摩書房)、『知的生活の方法』(渡部昇一著、講談社)、『やわらかな心をもつ』(小澤征爾・広中平祐共著、新潮社)、『近代絵画』(小林秀雄著、新潮社)の四冊を選んだのだが、悩んだ末に落とした『遠い太鼓』(村上春樹著、講談社)の中にその答えがあった。
 九〇年六月に出版された『遠い太鼓』は、村上春樹がイタリアとギリシャで暮らした八六年から八九年まで三年間の旅行記(『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』はこの時期に書かれた)だが、私の九〇年代の愛読書だった。題名の由来はこんな文章に拠っている。
「ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、何処か遠くから太鼓の音が聞こえてきた。ずっと遠くの場所から、ずっと遠くの時間から、その太鼓の音は響いてきた。とても微かに。そしてその音を聞いているうちに、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。それでいいではないか。遠い太鼓が聞こえたのだ」(講談社文庫版19頁)
 シリコンバレーにやって来て二年が過ぎた九六年末のある日、私も「どうしても長い旅に出たくなった」のだった。私は、妻と一緒に物理的にはもう旅に出ていた。日本を離れてシリコンバレーに来ている。あとは精神的に旅に出ればいい、大組織を出て。ある日そう思ったのを『遠い太鼓』を再読して、まざまざと思い出した。
『遠い太鼓』は、四十歳を迎えた村上春樹が、自らの三十代後半を振り返って書いた自伝的エッセイでもあり、独立の意志を固める時期にちょうど三十代後半にさしかかろうとしていた私には、年齢的にも共感し、影響されるところが大きかった。
「四十歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み換えが終わってしまったあとでは、好むと好まざるとにかかわらず、もうあともどりはできない。(中略)それは前にしか進まない歯車なのだ。僕は漠然とそう感じていた。(中略)だからこそそうなるまえに、――僕の中で精神的な組み換えが行われてしまう前に――、何かひとつ仕事をして残しておきたかった」(同16頁)
「何かひとつ仕事を」というほど明確なものは見えていなかったが、四十歳になって「精神的な組み換えが行われてしまう」前に、いったい自分に何ができるのかを確かめたい、一人になったときに自分の身に何が起こるのかを見てみたいと、私は強く望んだのだった。
 これまでにたくさんの本を読んできたけれど、精読して知を溜め込むことに私はいっさい興味がなく、内容を記憶する習慣もなく、そのときどきの人生における喫緊の問題に何らかの指針を得たいという一心で、自分が欲している信号を求めてさまよう読書だった。「生きるために水を飲むような読書」と言えば近いだろうか。内容を記憶していないだけに、愛読書たちは読み返すたびにかえって新鮮だった。そしてつくづく自分が読書によって人生を切り拓いてきたのだなと思い、ありがたい気持ちになった。
 この連載に「書くこと」を独立の際の儀式としたように、その後のさまざまな事業上の転機も「書くこと」で乗り切ることが多かった。しかし私の「次の十年」は、そんなふうに「書くこと」とともに育ててきた事業より「書くこと」自身の重さのほうがきっとずっと大きくなるだろう。最近はそんな予感が日に日に膨らんできている。

Umeda Mochio●ミューズ・アソシエイツ社長。1960年東京生れ。94年渡米、97年コンサルティング会社ミューズ・アソシエイツを起業。著書に『シリコンバレー精神』(ちくま文庫)、『ウェブ進化論』(ちくま新書)、『フューチャリスト宣言』(共著、同)、『ウェブ人間論』(共著、新潮新書)など。メジャーリーグの野球、そして将棋の熱烈なファン。

カテゴリ: IT・メディア
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執筆者プロフィール
梅田望夫(うめだもちお) 1960年東京都生れ。94年渡米、97年コンサルティング会社ミューズ・アソシエイツを起業。著書に『ウェブ進化論』(ちくま新書)、『ウェブ時代をゆく』(同)、『ウェブ時代 5つの定理』(文藝春秋)、『ウェブ人間論』(共著、新潮新書)など。メジャーリーグの野球、そして将棋の熱烈なファン。
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