エリツィンの墓碑銘に「領土返還」が無い理由

執筆者:名越健郎 2007年6月号
エリア: ヨーロッパ アジア

さきごろ亡くなったエリツィンほど歴史的評価の分かれる指導者も少ない。だが、日本にとってはまたとない“好機”をもたらした存在だった。 ソ連時代末期の一九九〇年六月末、ロシア共和国最高会議議長に就任したばかりの故ボリス・エリツィン前大統領とモスクワで単独会見したことがある。当時のエリツィンは急進改革派指導者として人気急騰。機転が利き、決断が早く、オーラが漂っていた。改革派の集会やデモは「エリツィン、エリツィン」のシュプレヒコールが定番だった。 三年後に議会保守派が立てこもり、エリツィン自身が砲撃を命じることになる最高会議ビル(現政府庁舎)の執務室には、レーニンの肖像画が残っていた。「まだレーニンですか」と冷やかすと、「どこが悪い。わたしはレーニンを尊敬している」と不機嫌になった。

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
名越健郎(なごしけんろう) 1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長、編集局次長、仙台支社長を歴任。2011年、同社退社。拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授を経て、2022年から拓殖大学特任教授。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミアシリーズ)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
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