国の威信をかけた「印パ・ホッケー戦争」の歴史

執筆者:生島淳 2008年5月号
カテゴリ: スポーツ 国際

 二〇〇八年三月九日、世界のホッケー界に衝撃のニュースが走った。 チリで行なわれたホッケーの五輪最終予選で、インドがイギリスに〇対二で敗れ北京五輪出場を逃したのである。世界でホッケーを「国技」とする国はインドとパキスタンの二カ国と言ってよく、そのひとつであるインドが五輪出場権を逸したのは歴史上初めてのことだった。 ホッケーは十一人制で、三十五分ハーフで行なわれる。野球の硬球よりも硬いボールをスティックを使って相手ゴールに入れることで得点が入るが、近年はセットプレー(サッカーのフリーキック的な攻撃機会)が大きな得点源だ。 実のところ、インド、パキスタン両国で現在もっとも人気が高いスポーツはクリケットになる。しかしホッケーは両国にとってスポーツの象徴的な意味合いが強く、プライドが激突する場でもある。特に「印パ戦争」を知る年長の世代にとっては、ライバル国に敗れることは、感情的な反応の発端ともなる。 ホッケーの五輪での歴史を繙くと、一九〇八年のロンドン大会で正式種目に採用され、二四年のパリ大会では「国際的な広がりがない」ということでいったん五輪から外された。これを緊急事態と受け止めた関係者がパリで国際ホッケー連盟を立ち上げ、二八年のアムステルダム大会から現在にいたるまで正式種目の地位は揺らいでいない。

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執筆者プロフィール
生島淳 1967年生れ。広告代理店勤務を経て93年よりライターとして活躍。著書に『大国アメリカはスポーツで動く』(新潮社)など。
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