行き先のない旅
行き先のない旅(60)

ヴェルディが「仲介」した新旧ふたつの贈り物

大野ゆり子
執筆者:大野ゆり子 2008年5月号
カテゴリ: 国際 文化・歴史
エリア: ヨーロッパ

 見覚えのない人から、ある日、手紙が届いた。宛先は夫の職場であるモネ劇場になっている。何の変哲もない白い封筒には、ボールペンで、イタリアのプーリア州ターラントにあるPという町に住む差出人の住所と名前が書かれていた。イタリアをよく長靴にたとえる表現があるが、それでいうとプーリアは、ちょうどそのかかとにあたる場所である。観光地として有名でもなく、私たちも、一度も訪れたことがない。夫の職業柄、クラシックファンの方から、指揮者のサインのコレクションをしているので送って欲しいというお手紙を頂戴することはある。しかし、この手紙は一風変わっていた。 ちょうど胸ポケットに入るぐらいのサイズの手帳から、三枚のページが破り取られて、その中には少し震えるような手で書かれたイタリア語の文字が、ぎっしりと並んでいた。「私はAといいます。あなたの音楽の大ファンで、あなたの指揮する演奏を楽しみにしてきました。私はまだ四十五歳なのに、患っていた癌が末期を迎え、自分の死期が近いのを感じています。今、自分の痛みを癒してくれるのは、音楽だけです。あなたが最近、ヴェルディ『アイーダ』のDVDを出されたのを知りましたが、買うお金がありません。マエストロ、もしあなたがこのDVDを私に送って下さったら、私の人生の最後の望みをかなえて下さることになり、私は安らかに死んでいけます。どうか、どうかお願いします。マエストロ、どうか、一刻も早く……私の死期はすぐそこまで来ています。抱擁をこめて A」

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執筆者プロフィール
大野ゆり子
大野ゆり子 エッセイスト。上智大学卒業。独カールスルーエ大学で修士号取得(美術史、ドイツ現代史)。読売新聞記者、新潮社編集者として「フォーサイト」創刊に立ち会ったのち、指揮者大野和士氏と結婚。クロアチア、イタリア、ドイツ、ベルギー、フランスの各国で生活し、現在、ブリュッセルとバルセロナに拠点を置く。
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