バスケット王国アメリカが勝てなくなった「世界布教」の皮肉

執筆者:生島淳 2008年8月号
カテゴリ: スポーツ 国際
エリア: 北米

 アメリカにはいろいろな国技があるが、バスケットボールもそのひとつである。一八九一年にマサチューセッツ州のYMCAで、冬の間の「暇つぶし」として考案された。 五輪の正式種目に採用されたのは一九三六年のベルリン大会から(女子は七六年のモントリオール大会から)で、その時から六八年のメキシコ大会までアメリカの金メダルが続く。六四年の東京大会では、二〇〇〇年の大統領選挙にも立候補したビル・ブラッドリーがメンバーに含まれていた。 この流れが変わったのは七二年のミュンヘン大会。決勝はアメリカ対ソ連の顔合わせとなったが、いったんはアメリカの勝利で試合が終了。ところが運営役員のミスで残り三秒から試合はやり直しとなり、ソ連が劇的な逆転シュートを決めてしまった。この敗戦が後の「ドリームチーム」結成の伏線となった。 国際五輪委員会(IOC)はサマランチ体制の下、プロに対して積極的に門戸を開いたが、バスケットではどうしても世界最高峰のプロリーグである米NBAの協力が必要だった。九〇年代、NBAコミッショナーのデビッド・スターン(バスケット好きの弁護士出身)はNBAの国際化によって利潤を上げようと考えていたため、IOCとNBAの思惑が一致。マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソンらプロのスーパースターが集まった「ドリームチーム」が九二年のバルセロナ大会で結成された。

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執筆者プロフィール
生島淳 1967年生れ。広告代理店勤務を経て93年よりライターとして活躍。著書に『大国アメリカはスポーツで動く』(新潮社)など。
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