女性が担う欧州王室の未来

執筆者:三井美奈 2010年1月号
カテゴリ: 国際 文化・歴史
エリア: ヨーロッパ

 王室改革の先端を走る北欧。二〇〇九年にもホットなニュースがスウェーデンとデンマークから飛び込んできた。
 スウェーデンでは二月、皇太子ビクトリア王女(三二)の婚約が発表された。お相手のダニエル・ベストリングさん(三六)はスポーツジムの経営者で、父は地方公務員、母は郵便局職員という普通の若者だ。体育専門学校を卒業し、兵役に服した後に開業した。王女の個人トレーナーを務めたのがなれそめで、七年前から交際が報じられていた。
 王女は赤いワンピースにポニーテールという初々しいいでたちで会見に臨み、「ダニエルと一緒だと気持ちが落ち着きます」と話し、頬を染めた。ベストリングさんは「イエスの返事を待っていました。自信があったわけではありません」とプロポーズの思い出を披露した。会場には金屏風もファンファーレもなく、装飾は卓上の小さな花瓶だけ。目を合わせてはにかむ二人と、二人を暖かく見守る国王夫妻は、どこにでもいる幸せな家族そのものだった。

進む「男女平等化」

 デンマークでは六月、男子優先だった王位継承権が国民投票により、男女平等に改められた。継承制度の変更は同国で戦後二度目になる。
 継承権はもともと男子に限られてきたが一九五三年、国民投票によって法改正され、女子にも認められた。当時、国王一家には三人娘しかおらず、王弟が皇太子だったのだが、ロイヤルファミリーの人気が高く、長女の現マルグレーテ女王の即位を求める声が高まり、政府を動かした。六月の法改正は、男女同権を王室にも反映すべきという方針によるもので、投票では七八%が賛成した。女王の長男フレデリック皇太子の第一子は王子のため、継承順位に変更はない。
「庶民との結婚」と「王位継承の男女平等化」は戦後、生き残りを模索する欧州王室の切り札となってきた。欧州にかつて三十以上の世襲君主がいたが、革命や共和制移行で次々と廃止され、現在残るのは大公、公国を含めて十王室のみ。欧州連合(EU)の発足で、王室が率いた国威発揚は過去の価値観になった。存在意義を問われた王室は、自ら率先して改革に着手し、人権と平等重視の社会のシンボルとなる道を選んだ。
 庶民出身プリンセスの先駆けは一九六八年、ノルウェー皇太子だった現ハラルド国王と結婚したソニア妃だ。オスロの洋装店経営者の娘で、父王や政府は結婚に大反対だったが、ハラルド皇太子が「この人以外ありえない」とがんばり、九年越しの恋を実らせた。それまで、皇太子妃には外国の王族か大貴族からのお輿入れが普通だった。
 欧州では昔から、王位は支配者間の政略結婚と血縁で決められてきたため、王族は外国人であることが普通だった。現英国王室の始祖はドイツのハノーバー選帝侯。スペインは仏ブルボン王朝の流れをくみ、スウェーデン王室は仏皇帝ナポレオンの元帥が開いた。一九七六年にはスウェーデンで庶民出身のシルビア王妃が誕生し、国民と共に歩む新時代の王室の象徴となった。もともと、国民はシンデレラ物語が大好きなのだ。いまでは、欧州の皇太子妃は庶民出身者が多勢を占め、貴族出身はベルギー、リヒテンシュタインの二人だけだ。
 王位継承の男女平等化は、一九八〇年のスウェーデンの改正が第一号となった。七九年の女子差別撤廃条約調印がきっかけで、当時二歳だったビクトリア王女が弟王子に代わって皇太子となった。オランダ(一九八三年)、ノルウェー(一九九〇年)、ベルギー(一九九一年)がこれに続いた。「男子優先」を維持する国でも改正論は高まっており、英国では二〇〇四年に改正法案が国会提出され、スペインでは社会労働党のサパテロ首相が制度改革に意欲を示す。

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