国際人のための日本古代史 (8)

悲劇の女帝・斉明天皇が浮かび上がる世相

執筆者:関裕二 2010年9月30日
タグ: 日本
八角形墳と確認された牽牛子塚古墳(奈良県明日香村、明日香村教育委員会提供)(C)時事
八角形墳と確認された牽牛子塚古墳(奈良県明日香村、明日香村教育委員会提供)(C)時事

 7世紀後半の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(奈良県高市郡明日香村)が、長い眠りから覚めた。発掘調査によって、その全貌が明らかになったのだ。  墳丘は正八角形で、これは飛鳥時代の天皇陵の特徴的な様式だから、考古学者も色めき立った。  外見からは小振りで質素な御陵に見えるが、石槨(石室)は70―80トンの巨石を運び込み刳り抜いたもので、巨大プロジェクトであったことがわかる。  牽牛子塚古墳が重要な意味をもつのは、普通は特定の難しい被葬者が、はっきりと分かったこと、しかも、それが斉明(皇極)女帝だったことだ。この女帝は、古代史の鍵を握るひとりなのだ。  考古学の発見は、不思議なほど、「今」とリンクする。斉明天皇は律令制度を導入する混乱期に2度担ぎ上げられ、政局に翻弄された人物だった。政権交替のまっただ中にある現代日本と、よく似た時代を生きた女帝が、斉明天皇なのである。  謎めくのは、この女人がなぜ蘇我全盛期に求められたのか、理由が判然としないということだ。斉明の体を流れる蘇我氏の血は、きわめて薄い。  それだけではない。蘇我氏が斉明天皇を後押ししていたにもかかわらず、蘇我氏滅亡後、再びその反対勢力から推戴された理由も、はっきりとしない。斉明天皇は、敵対する2大勢力の双方に利用された、不思議な女帝なのである。  ヒントはある。斉明天皇は舒明天皇に嫁ぐ以前、蘇我系の高向王(たかむくのおおきみ)と結ばれ、男子・漢王(あやのおおきみ)を生んでいた。つまり、皇位継承権のない「蘇我の漢王」を「蘇我系の天皇候補・漢皇子(あやのみこ)」に化けさせ即位させるために、斉明天皇は担ぎ上げられたのではあるまいか。そう考えると、多くの謎が解けてくる。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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