「殺されたくない」 関谷滋・坂元良江編『となりに脱走兵がいた時代』

執筆者:船橋洋一 2000年2月号
カテゴリ: 文化・歴史 書評

 戦後、新宿に風月堂という名の音楽喫茶があった。 一九六〇年代半ば、米国の旅行案内で「日本のグリニッチヴィレッジ」などと紹介されたこともあって日米の若者たちが夜遅くまで粘っては、だべっていた。 一九六七年十月二十六日夜遅く、その前を通りかかった東大生、山田健司は店から出てきた二人の若い米国人に呼び止められた。「安く泊まれるところはないか」 掌に出して見せた所持金は百三十円しかない。「山谷のドヤ街にも泊まれそうにない」と山田は思った。「私の部屋に来ないか」「四人泊まれないか」 どうやらもうふたり、仲間が店内にいるらしい。 山田は大学の仏文学の教授にどうしたものか相談したが、教授は警察に知らせろと言うだけだった。山田が通報したのはベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)だった(山田健司「新宿の路上で生まれたジャテックの芽」)。 ベトナム戦争従軍米国兵士の脱走兵はこうして日本で誕生したのである。ごくふつうの人々が―― それは自然発生的だった。 四人は横須賀に停泊していた米航空母艦、イントレピッド号の乗組員だった。 彼らは、ベ平連のネットワークにかくまわれ、モスクワ経由で、当時合法的に脱走兵を受け入れていたスウェーデンに脱走した。この事件は国際的にも大きな反響を呼んだ。それをきっかけにその後、脱走する兵士が相次いだ。やがてベ平連は地下組織としてジャテック(JATEC=反戦脱走米兵援助日本技術委員会)を作る。ジャテックによって第三国に無事に逃れたアメリカ兵たちは合計、二十人近くに達した。

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