「コーカサスのイスラエル」アルメニアの苦難は続く

執筆者:立山良司 2000年10月号
カテゴリ: 国際 文化・歴史
エリア: 中東

 アルメニアの首都エレバンから見た真夏のアララト山は遠くにかすんでいたが、その姿はほんとうに美しかった。ノアの方舟が洪水の後、最初に着いたといわれるアララト山は、あらゆる意味でアルメニア人のシンボルだ。しかし、アルメニアにとって歴史は過酷だ。今、アララト山はトルコ領であり、彼らの手にはない。 アルメニア人は紀元前八世紀頃には、南コーカサス地域に王国を築いていた。しかし、ローマ帝国やペルシャ帝国、オスマン帝国やロシア帝国といった巨大帝国がしのぎを削ったこの地域の歴史はアルメニアを翻弄し、服従と離散とを繰り返し経験させた。それでも彼らが民族集団としてのアイデンティティを保ち続けてきたのは、アルメニア使徒教会と呼ばれるキリスト教信仰と、アララト山を核とする彼らの故地「歴史的アルメニア」、さらには十一世紀から十四世紀に王国があったキリキアへの思いがあるからだ。 社会学者アントニー・スミスがいうように、アルメニア教会はアルメニア人にアイデンティティを表現する具体的な手段を提供し、共同体に枠組みを与えてきた。宗教共同体とエスニック共同体が重なり合い、離散を経験しながらも民族としての同一性を保持したという意味で、アルメニア人もユダヤ人と同じような歴史を歩んできた。

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