インドネシア・マルク諸島の終わらぬ宗教紛争

執筆者:立山良司 2000年11月号
カテゴリ: 国際 文化・歴史

 インドネシアのマルク(モルッカ)諸島はかつて香料諸島と呼ばれたように、丁子やナツメグの産地として知られてきた。そのマルク諸島で一九九九年一月以来、州都アンボンを中心にキリスト教徒とイスラム教徒の激しい衝突が続いている。直接のきっかけはバス運転手と乗客との喧嘩という些細なものだったが、死者はすでに四千人を超えた。インドネシア政府は今年六月にマルク諸島に非常事態宣言を出したが、対立が収まる気配はない。 一つには過激なイスラム教徒グループが「ジハード(聖戦)」を宣言し、武装集団を送りこんでいるからだ。「ラスカル・ジハード」というグループのリーダー、ジャファル・ウマル・サリブは、今年五月時点で「一万人の義勇兵を送る」と豪語している。彼自身、アフガニスタンで反ソ連イスラム教徒ゲリラとして戦った経験があるという。 もう一つの問題は、政府軍の規律や統率の乱れだ。軍もキリスト教徒とイスラム教徒から成るため、衝突が起きると兵士の一部が自分たちと同じ宗教コミュニティの側についてしまうという。また、スハルト元大統領派の軍人がワヒド現政権を窮地に立たせるため衝突を煽っているとの見方も根強い。 より根本的な背景は、植民地支配と独立後の政策が残した負の遺産だ。マルク諸島では十五世紀にイスラム教が普及し始めたが、十七世紀初めから三百年以上にわたりオランダが支配し、キリスト教が定着した。この間、オランダは役人の採用などでキリスト教徒を優遇する政策をとる一方、イスラム教徒を抑えつけた。ところがインドネシア領となった一九五〇年以降、政府の後押しでイスラム教徒の定住が進んだ。その結果、今や人口構成はほぼ半々となり、イスラム教徒が行政や経済の中心を握っている。両コミュニティの間には潜在的な対立はあっただろうが、スハルト政権時代には恐怖政治が重石となって問題の表面化を食い止めていた。それが政権崩壊と同時に一気に火を噴いた感じだ。

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