「井戸を掘った人」 田川誠一『日中交渉秘録』

執筆者:船橋洋一 2001年4月号

 一九五九年から一九七二年まで、田川誠一は合計十一回、中国を訪れた。最初は自民党の長老、松村謙三の秘書として、その後自民党の衆議院議員として、毎年のように覚書貿易交渉に携わった。 東京から北京へは香港経由で行かなければならないので三日がかりだった。羽田から香港までわざわざ南下して一泊、翌朝、汽車で国境を越え、深セン、そして広州へ。そこでまた一泊、それから国内線の飛行機でノロノロ北上する。 松村は、高碕達之助、石橋湛山らとともに、日中関係の正常化に政治生命をかけていた。しかし、岸政権になり長崎国旗事件が起こり、日中貿易は断絶、日中関係は再び緊張していた。日中をなんとかしたい。一九五九年十月、執念の初訪中だった。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
船橋洋一(ふなばしよういち) アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長。1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒。1968年、朝日新聞社入社。朝日新聞社北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、2007年から2010年12月まで朝日新聞社主筆。米ハーバード大学ニーメンフェロー(1975-76年)、米国際経済研究所客員研究員(1987年)、慶應義塾大学法学博士号取得(1992年)、米コロンビア大学ドナルド・キーン・フェロー(2003年)、米ブルッキングズ研究所特別招聘スカラー(2005-06年)。2013年まで国際危機グループ(ICG)執行理事を務め、現在は、英国際問題戦略研究所(IISS)Advisory Council、三極委員会(Trilateral Commission)のメンバーである。2011年9月に日本再建イニシアティブを設立し、2016年、世界の最も優れたアジア報道に対して与えられる米スタンフォード大アジア太平洋研究所(APARC)のショレンスタイン・ジャーナリズム賞を日本人として初めて受賞。近著に『フクシマ戦記 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」』(文藝春秋)、『自由主義の危機: 国際秩序と日本』(共著/東洋経済新報社)、『地経学とは何か』(文春新書)、『カウントダウン・メルトダウン』(第44回大宅賞受賞作/文春文庫)など著書多数。
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