日本的制度を逆手にとった「三光汽船」河本敏夫の死

執筆者:喜文康隆 2001年6月号
タグ: 日本 香港

 五月二十四日、三光汽船の実質的な創業者の河本敏夫が亡くなった。経済記者として三光汽船に厳しい眼を向け続けてきた私にとっては、一九八五年八月の三光汽船の倒産で河本敏夫はすでに“死んで”いた。もはや彼について語ることは何もないと思っていた。 しかし、河本の死に関する新聞報道を読みながら気が変わった。河本敏夫、とりわけ企業家としての河本が、あまりにもステレオタイプに描かれている。例えば朝日新聞の五月二十六日付の天声人語である。「『平凡道』ということを繰り返し語ったのは、故松永安左エ門氏だった。ちょうど三十年前、九十五歳で亡くなったが、日本の電気事業に晩年までかかわった実業家で『電力の鬼』と言われた人だ▼彼の言う平凡道とは、まず不当の欲望を起こさないことだ。『不相応の欲望を棄て、怒らず、貪らぬのが平凡道の基礎である』(『淡々録』経済往来社)。また彼の持論は、実業家が政治家になるべきではない、だった▼そごうの水島前会長の資産隠し疑惑と、それとは直接関係ないが、河本敏夫氏の死を聞いて、あの人のことを思い浮かべたのだった。ふたりを同列に置くわけでは決してないが、松永氏に言わせれば、『平凡道』や持論にそむいた人たちだろう」

カテゴリ: 経済・ビジネス
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