「国益」とルール 畠山襄『通商交渉 国益を巡るドラマ』

執筆者:船橋洋一 2001年7月号
カテゴリ: 文化・歴史 書評

 その部分、METIと書いてある英文の論文を読むうち、アレ、誤植じゃないのかこれは、MITIの間違いなのではないか、と思ってから、ああそうか、通産省は経済産業省に変わったのだっけ、と納得した記憶がある。 MITI(ミティ)は三十年近く前、経済記者として担当したことがあるし、その語感とともにわたしの語彙空間にすっかり定着していたから、省庁再編でその名称が消滅した時、日本の戦後がもう一つ終わったのかとの特別の感慨を持った。 日本の戦後の形成にMITIが果たした役割は大きかった。彼らは産業政策と通商政策のプロとして、戦後の日本経済の再建と発展の司令塔、かつ先兵として活躍した。そこには、戦国の武士のような男っぽい官僚たちが多数、参集した。 畠山襄も、そのような系譜に属する。一九五九年、入省以後、ジェトロ(日本貿易振興会)と経済企画庁への出向と鈴木内閣時代の総理大臣秘書官を挟んで通産省で働き、貿易局長、通商政策局長を歴任。そして、通商産業審議官を最後に一九九三年、退官した。 畠山が日本の主な通商交渉の日本側責任者となった一九八〇年代末から九〇年代初めは、冷戦が終わり日米関係が漂流し始めた時代に当たった。

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