ここ四、五年で変貌著しい上海に行く日本人は誰でも、「古き良き時代の上海を残して欲しい」と思うようだ。私もそうだった。凄まじい破壊と変貌、そして刮目の発展を目の当たりにするからだ。東京の二倍はある高層ビル群、そしてアメリカを思わせる広い道路。旅行者は羨望しながらも思う。「歌に聞き、歴史に習った上海がなくなってしまう」と。 上海人にはそんな気は全くない。知識層も、取り残された貧しいアパートに住む人々も、そして公園で女性達のパラパラ踊りを見る老人もすべて「これでいい」と言う。 それは、日本人が歌や歴史で思い浮かべる上海が、英米仏などとの「租界」での自由で優雅な生活と結び付いているからだ。中国人は外国人租界の優雅な暮らしを「壁の穴から羨ましく見るだけ」(森ビルの竹内総経理)だった。彼等には「古き良き上海」などという思い出はない。
この続きは会員登録をすると読むことができます。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン