パレスチナとの連合国家化も浮上するヨルダン王国の岐路

執筆者:浅井信雄 2003年5月号
カテゴリ: 国際 文化・歴史
エリア: 中東

 フィラデルフィアといえば、米国の独立宣言が発せられた東部の都市だが、実はヨルダン王国の首都アンマン一帯に紀元前三世紀頃、建設された都市フィラデルフィアと同名である。 この古いフィラデルフィアを建設したのはヘレニズム時代(紀元前三三四年-前三〇年)、アレキサンドロス大王の後継者プトレマイオス・フィラデルフォス二世である。同じ頃、南西部のぺトラに交易拠点としてナバテア国が栄えた。アンマンにはヘラクレス神殿やローマ時代の円形劇場の遺跡がいまも残る。以上のことだけで、ヨルダン一帯が古代史の激動の舞台であり、さまざまな民族が出入りしたことがうかがわれる。 二〇〇二年七月現在の米CIA(中央情報局)の推定では、ヨルダンの総人口は五三〇万七四七〇人、民族構成はアラブ系九八%、シルカシア系一%、アルメニア系一%と単純だが、宗教構成は多様極まる。二〇〇一年の推定では、スンニー派イスラム教徒九二%、キリスト教六%、その他二%である。 キリスト教徒の内訳は、大半のギリシャ正教の他、ギリシャ・カトリック、ローマ・カトリック、シリア正教、コプト正教、アルメニア正教、プロテスタントが少数いる。その他には、イスラムのシーア派やドルーズ派などが含まれる。

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