本質的に変化したメディアの役割

執筆者:喜文康隆 2003年5月号

「メディアはメッセージである」(マーシャル・マクルーハン『メディア論』)     * あっけないくらい簡単に陥落したバグダッド。市内の広場で米軍が引き倒したフセイン大統領像と、それをひきずりまわすバグダッド市民たち。「解放軍」としての米英軍を演出するかのごときテレビの映像を見ながら、現実のイラク国民は何を考えているのだろうと思った。 ラムズフェルド米国防長官は「ベルリンの壁崩壊を思い出す」と評したが、テレビの画面は当事者たちの「政治的意図」を伝えるばかりで、それを無条件に真実と見なすわけにはいかない。「ブッシュの戦争」は、フセインの物理的な死が目標の一つだった。この原稿を書いている時点でフセインの物理的な生死は不明だが、権力者にとっては権力とシンボルの喪失は、現実の死に等しい。シンボルを喪失した後に賞金をかけてまでフセインの物理的な死を追い続ける米国の行動こそ、メディアとハイテクを駆使した戦争の空虚さの象徴である。戦争報道とスター記者 いつの時代も戦争は、メディアにとっては革新の宝庫であり、ジャーナリストにとっては桧舞台である。戦争の舞台そのものから数々の記事や報道写真が生みだされるのみならず、戦争を象徴するような著作や活動が、記者の名前とともに記憶される。さらには戦争をきっかけに、メディア間の覇権交代や、ジャーナリズムの体制や質の転換もありえる。

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