ブルガリアを左右するトルコ人という微妙な存在

執筆者:浅井信雄 2003年9月号
カテゴリ: 国際 文化・歴史
エリア: ヨーロッパ

 さる三月初頭、プーチン・ロシア大統領はロシア首脳としては十年ぶりにブルガリアを訪問したが、そのタイミングがなかなか興味深い。一八七八年三月三日、ロシア軍はオスマン・トルコ帝国の支配下からブルガリアを解放したが、いまでもブルガリアは三月三日を意義ある国祭日に指定しているのだ。 解放後もブルガリアに残留したトルコ民族は最大の少数民族として、今日まで微妙な存在となっている。ブルガリアはロシア、トルコとの三者関係の中で、歴史を刻んできたことがわかる。 米国中央情報局(CIA)の二〇〇二年七月現在の推定では、ブルガリアの総人口は七六二万一三三七人である。民族的内訳(一九九八年の推計)は、ブルガリア人八三・六%、トルコ人九・五%、ロマ族(ジプシー)四・六%、その他(マケドニア系、アルメニア系、タタール系を含む)二・三%などだ。若干のユダヤ、ロシア、ルーマニア、ギリシャ系もいる。 バルカン中央に位置する国際環境にあるため、北欧、東欧と東地中海を結ぶルートや、西欧、中欧と中東を結ぶルートはほぼブルガリアを通過する。西からの十字軍やセルビア勢力、東からのモンゴルの進出、そしてオスマン支配などの遺産が、いまも各分野で目撃される。

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