クオ・ヴァディス きみはどこへいくのか?
クオ・ヴァディス きみはどこへいくのか?

戦地で恩になった「先生」

徳岡孝夫
執筆者:徳岡孝夫 2003年11月号
カテゴリ: 文化・歴史

 新聞の「葬送」というコラム(「産経」九月十九日)によって先生の逝かれたのを知った。享年八十三。総白髪になった先生の、小さい顔写真が出ていた。 われわれにとっては先生だが、広く世に知られた方ではない。晩年は新潟県の雪深い松之山町にある老人保健施設の施設長をしていた。失礼だが田舎医者として終わった人。名を渡辺栄という。 渡辺先生は、ベトナム戦争の最も激しい時期にサイゴンで、たしか二人の日本人医師の一人だった。日本の援助で建ったサイゴン病院に派遣され、一九六六年から七四年までベトナム人を診た。 一九六八年一月~二月のテト(旧正月)攻勢は、いま顧みてもベトナム戦争の分水嶺になった激戦である。南ベトナムのほとんど全都市が心臓部に共産軍の奇襲を受け、サイゴンの米大使館は一時占領された。ヤミ市のヘルメットは、アッという間に売り切れた。私はC130輸送機でダナンに飛び、ユエを奪還に行く米海兵隊に従軍してぬかるんだ道を行軍した。ユエ城内に翻る解放戦線旗が見えるところまで行った。その後も古都ユエには何度も行った。 砲声のする中をフラック・ジャック(防弾チョッキ)を着、転っている死者の首からヘルメットを拝借し、サイゴンに戻って書いた記事を電報局へ持っていく。前線では感じないが、日常生活のある町に戻ると怖さがジワーッと湧いてくる。

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執筆者プロフィール
徳岡孝夫
徳岡孝夫 1930年大阪府生れ。京都大学文学部卒。毎日新聞社に入り、大阪本社社会部、サンデー毎日、英文毎日記者を務める。ベトナム戦争中には東南アジア特派員。1985年、学芸部編集委員を最後に退社、フリーに。主著に『五衰の人―三島由紀夫私記―』(第10回新潮学芸賞受賞)、『妻の肖像』『「民主主義」を疑え!』。訳書に、A・トフラー『第三の波』、D・キーン『日本文学史』など。86年に菊池寛賞受賞。
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