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| 2006年に社長の座を大坪氏(右)に譲り会長になった中村氏 (C)時事 |
パナソニックが今期(2012年3月期)歴史的な大赤字を計上する。テレビ、半導体事業の縮小に伴うリストラ費用を理由に連結最終損益が4200億円の赤字に転落(前期は740億円の黒字)すると発表したのは昨年10月31日。それからわずか3カ月余りの2月3日、今度は09年12月に買収した三洋電機ののれん代の減損処理などを加えて最終赤字が7800億円に膨らむ見通しであることを明らかにした。「責任を痛感している」と苦渋の表情で記者会見を行なったのは大坪文雄社長(66)だが、同社の最高実力者が中村邦夫会長(72)であることは社内外で周知の事実。社長就任2年目だった02年3月期に4310億円の最終赤字を計上した後「中村改革」で業績をV字回復させた立役者は、10年後の今、その華々しい名声を一気に失う崖っぷちに追い込まれている。
飛び交う“新聞辞令”
パナソニックが予想している最終赤字額7800億円は、3年前に日立製作所の庄山悦彦会長、古川一夫社長(いずれも当時)が同時辞任に追い込まれた09年3月期の最終赤字額7873億円(日本の製造業のワースト記録)に肩を並べる。パナソニックの大坪は社長就任から今年6月で丸6年となる。同社には創業者の松下幸之助(1894-1989年)が66歳で社長を退いたことから、歴代社長はその年齢を越えて再任しない、という不文律がある。
任期といい、年齢といい、ただでさえ交代時期を迎えている大坪に対し、2月3日の記者会見では当然、巨額赤字に伴う経営責任の取り方を問う質問が出たが、大坪は「12年度(13年3月期)以降の収益回復を目指し、全社員が一丸となって進むことに尽きる」と辞任を否定した。
すでに、昨年12月30日に読賣新聞朝刊が「パナソニック 大坪社長続投 中村会長も」と報じ、赤字拡大発表後の2月7日には毎日新聞が夕刊で「パナソニック:会長・社長が続投へ」と追随するなど、「留任」がニュースになる異例の“新聞辞令”が飛び交っている。ただ、社内では「中村会長の“茶坊主”と呼ばれている副社長が盛んに現体制続投を吹聴しているだけ」「この局面でトップの結果責任が問われなければ、この会社は本当に終わってしまう」といった強い危機感と怒りをあらわにする声が渦巻いている。
「パナソニック政権」
社員の怒りの火に油を注いでいるのは赤字責任を頬被りするような中村の姿勢だともいわれる。1月15日夜、ホテルニューオータニ(東京・紀尾井町)ガーデンコートにある日本料理店「千羽鶴」で2日前に内閣改造を終えたばかりの野田佳彦首相(54)が懇意の財界人3人と会食したことが政界ニュースとして報じられた。消費増税や社会保障と税の一体改革など難題を抱える首相を囲み、「ぜひ貫いてほしい」などと励ましたとされるが、その3人の財界人とはキヤノン会長の御手洗冨士夫(76)と東レ会長の榊原定征(68)、それに中村である。出席者の人選は中村が行なったという。
野田は言わずと知れた松下政経塾の第1期生であり、外相の玄葉光一郎(47)は8期生。1月の内閣改造で文部科学相として入閣した平野博文(62)は松下電器産業(現パナソニック)出身。さらに民主党内閣の最大の支持母体である連合の会長、古賀伸明(59)は元全松下労働組合連合会(全松下労連)会長である。現政権が「パナソニック政権」と揶揄される所以だ。
本来、中村はシャイな性格で人見知りが顕著なうえ、2000年6月に社長に就任するまで大阪・門真の本社勤務の経験がなかったという“変わりダネ”。政治家ともまったく縁がなかったようだ。野田との会食に同席した御手洗とは1990年代の米国勤務時代から親しく、御手洗は経団連会長時代(2006-10年)に中村を副会長に抜擢し、退任間際まで後任会長の最有力候補と考えていたフシがあった。だが、中村は“政治嫌い”を盾に固辞。それでも御手洗があきらめなかったため、最後は「深刻な病気」を理由に経団連の会合の席に姿を見せなくなったこともあったらしい。
そんな中村が、製造業のワースト記録に迫る巨額赤字を発表する3週間足らず前に、自ら人選をしてまで首相と会食したことに「あの“政治嫌い”の中村さんが……」と驚く財界担当記者もいた。首相との人脈をたのんで延命工作をしているとまでは思わないが、社長時代から結果を出せない幹部の責任を情け容赦なく追及してきた中村が、自らの責任を問われる現況に際して懺悔のコメントを発することなく、政界フィクサー然とした、クビを傾げたくなるようなパフォーマンスをしていることは注目に値する。
「中村改革」
前述のように、社長就任2年目に売り上げ減少で創業以来初の営業赤字(2118億円)に転落し、最終赤字4310億円を計上した中村は「破壊と創造」を旗印に「創業者(幸之助)の経営理念以外はすべて変えて構わない」と宣言して大リストラを断行した。1万3000人の早期退職や事業部制廃止、松下通信工業や九州松下電器などグループ会社の完全子会社化(上場廃止)、兄弟会社の松下電工へのTOB(株式公開買い付け)による子会社化など、歴代社長が手を付けられなかった“聖域”にまで中村は臆することなく踏み込んだ。
後に「中村改革」という呼称がついた一連のリストラは確かに効果を上げた。03年3月期には最終損益は194億円の赤字だったが、営業損益は1265億円の黒字に転換。04年3月期には最終損益も黒字になり、以後08年3月期には営業利益5194億円、最終利益2818億円へと高みに昇っていく。その途上、06年に中村はAV(音響・映像)部門長だった専務の大坪を後任に据え、自身は会長として君臨するようになった。
大坪は関西大学大学院工学研究科を修了して1971年に松下電器産業に入社。ラジオ、ステレオなどオーディオ事業部で経験を積み、事業部長時代には早朝から深夜まで勤務時間が長いことから、部下たちには「セブンイレブン」と呼ばれていたというエピソードがある。社長に就任してからも「経営者というより工場長」と社内で陰口をたたかれるほど存在感が希薄で、役員の人事権を中村から奪い取ることもできなかった。社内の求心力はその後も一貫して中村に対して働いた。
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