よろめく「金正恩路線」(下)幹部の世代交代「5年以内」に

平井久志
執筆者:平井久志 2015年7月29日
エリア: 朝鮮半島

軍には「分かりました」しかない

 党機関紙「労働新聞」は7月13日に「野戦型の指揮メンバー」という論説を掲載した。論説は、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の「活動家たちは大衆を党の思想貫徹戦、党政策擁護戦へ総決起、総発動させる野戦型の指揮メンバーにならなければならない」という言葉を引きながら、金正恩時代に求められる幹部の姿勢を強調した。
 金正恩時代の幹部には「党政策に対する絶対性、無条件性の精神を持つ」ことを求め、次に「科学的に、革新的に作戦を立て、主導的に、創発的に事業を展開する」ことを求めた。論説は「命令指示に対する絶対性、無条件性の精神が革命軍隊の生命だ。今日、わが人民軍隊の指揮官たちは、敬愛する最高司令官同志(金正恩第1書記)の命令、党の決定指示にただ『分かりました』という答えしか知らない」とした。
 あたかも、玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)前人民武力部長や辺仁善(ピョン・インソン)前作戦局長が余計な口答えをしたために粛清の対象になったことを想起させるように、軍人には「分かりました」という言葉しかないことを肝に銘じよという論説だ。

金己男氏は党書記に復帰?

 筆者は、本サイトの「『最高人民会議後』の北朝鮮(下)『核心幹部』2人の動静に注目」(2015年4月22日)で、4月9日に開催された最高人民会議第13期第3回会議の際に、金己男(キム・ギナム)党書記と姜錫柱(カン・ソクチュ)党書記が主席壇にいなかったことを報告した。
 両書記は再び公式の場に登場したが、従来の地位と同じかどうかは今後の推移を見守る必要がありそうだ。
 金己男党書記は朝鮮労働党の宣伝扇動部門を担当してきた老幹部だ。既に86歳の高齢である。金己男党書記は4月8日に開催された金正日(キム・ジョンイル)総書記の国防委員長推戴22周年中央報告大会に参加して以来、公式報道に名前が出なくなった。翌日の最高人民会議では主席壇ではなく、一般席の前方に李載佾(リ・ジェイル)党宣伝扇動部第1副部長など党第1副部長クラスと一緒に座っていたことが北朝鮮のテレビで確認された。
 北朝鮮に近い消息筋も「高齢のために顧問的な立場に退いた」と語っていた。
 しかし、党機関紙「労働新聞」は7月23日、金正恩第1書記が新築された黄海南道の「信川博物館」を現地指導したと伝えながら、「黄炳瑞(ファン・ビョンソ)同志、金己男同志、李載佾同志、金与正(キム・ヨジョン)同志、廉哲成(リョム・チョルソン)同志が同行した」と伝え、金己男氏を黄炳瑞軍総政治局長の次に報じた。
 高齢とはいえ、4月9日の最高人民会議にも参加していることから健康悪化のために公式の場に出てこなかったとは考えにくい。むしろ、何らかの問題で金正恩第1書記から叱責を受けて一線から退いていたが、約3カ月余で復権した可能性がある。党宣伝扇動部の李載佾第1副部長や金与正副部長より前に報じられていることを見ると、党の宣伝扇動担当書記の座に残っているとみるべきであろう。
 党の宣伝扇動部門のトップであった金己男党書記が公式の場に姿を見せなくなったことで、金正恩第1書記の妹の金与正党副部長が党の宣伝扇動部門を掌握したという見方も出ていたが、状況はそこまでは進んでいないようである。
 しかし、金己男氏の年齢を考えれば、次第に権力中枢から退いていく傾向にあることは間違いなく、金与正党副部長の権限が拡大していることも事実であろう。

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執筆者プロフィール
平井久志
平井久志 ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。
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