国際人のための日本古代史 (74)

沖縄の人々を「先住民」と言われても……

執筆者:関裕二 2016年5月11日
エリア: アジア

 国連の人種差別撤廃委員会は日本政府に対し、2008年以降、沖縄の人々を先住民と認めるように勧告し続けている。
 なるほど、明治時代になって日本は琉球王国を併合した。しかし、沖縄と本土の人間は、異なる民族なのだろうか。
 たとえば琉球方言は日本語の方言のひとつとみなされていて、琉球語には、奈良時代以前の古い日本語の音韻が残されているという。交流の歴史は、深く、長いのだ。
 そこでまず、沖縄の歴史をおさらいしておこう。

15世紀前半に琉球王国誕生

 沖縄の先史時代は、資料が少なく、不明な点が多い。ただし、約7000年前から、漁撈を生業とする貝塚文化が始まっていた。そして次第に「貝の交易」で栄えていく。本土の弥生人たちが巻き貝を装飾品にしていたのだ。これがやがて中国との交易に結びついていった。唐の時代に螺鈿(らでん)の材料になるヤコウガイを輸出している。
 12世紀になると、本格的な農耕がはじまり人口が増え、グスクと呼ばれる要塞(城)が方々に築かれるようになる。
 14世紀後半に、次の変化が中国からもたらされた。明が自由貿易を禁じ、冊封した国だけに朝貢貿易を許したのだ。琉球社会はこれを受け入れ、結果、15世紀前半、国土は統一され、琉球王国が誕生したのだった。
 ところが16世紀に、大きな時代の波に呑みこまれていく。スペインとポルトガルの来航によって、明王朝の主導する貿易体制が崩れ、沖縄は打撃を受け、徐々に国力を落としていく。そしてこの隙を突くように、慶長14年(1609)に薩摩藩が攻め入り、沖縄は日本と中国王朝双方に従属することになった。1850年代に入ると、新たな勢力が割りこんでくる。英・仏・米が東アジアの利権を求めて群がり、沖縄の帰属問題が持ち上がったのだ。琉球王国は米・仏・蘭各国と条約を締結することによって独立国と認められたが、明治5年(1872)9月、明治政府は一方的に琉球王国に冊封詔書を交付してしまう。「日清両属」を主張する琉球王国だったが、紆余曲折を経て、明治12年(1879)3月、沖縄県が置かれたのである(廃琉置県)。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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