朝鮮労働党大会「設計図なき戴冠式」(5)
見えなかった「金正恩カラー」

平井久志
執筆者:平井久志 2016年5月20日
カテゴリ: 国際 政治
エリア: 朝鮮半島

 北朝鮮は今回の党大会に際し、120人を超す外国人ジャーナリストの入国を認めたが、メディア対応が拙く、完全に失敗に終わった。

ストレスだらけの海外取材陣

 平壌入りした外国メディアは当然、党大会取材のための訪朝と考えていたが、北朝鮮当局はそうは思っていなかったようだ。北朝鮮は党大会までに完成させた「未来科学者通り」の高層アパートにある住宅や、平壌取材の定食コースである平壌産院などを取材させ「金正恩時代の平壌」を宣伝するつもりだったようだ。最初から目的に差があった。
 北朝鮮当局もこうした大型取材団の扱いに慣れておらず、「案内員」という名前の監視要員と取材陣の間の葛藤があちこちで起きた。北朝鮮では「案内員」に怒りをぶつけても何にも解決しない。彼らを動かしている背後の官僚を動かさないといけない。
 特に、党大会そのものが取材できないことへの取材団のストレスは大きかった。党大会のスケジュールも何時に始まったのかも公表せず、いつ終わるのかも分からないという極めて北朝鮮的な対応に終始し、取材団のストレスを加重させた。特に、大会最終日の5月9日に、約30人の一部取材陣だけに大会取材を許したことで、他の取材陣の怒りを買った。日本では共同通信とNHKが大会を取材したが、それもわずか10分ほどだった。こんなものは、各地域別にペンと映像でチームをつくり「代表取材」の形式を取れば、何の混乱もなくできることだ。北朝鮮当局の中にそういうメディア対応を分かる人材がいなかったようだ。
 また、党大会取材ではないが、金日成総合大学で講演をしたノーベル賞受賞者3人の同行で平壌入りしたBBCの記者が6日から4日間にわたり拘束され、同9日に国外追放になった。これが記者団の批判をさらに強める役割を果たした。
 こうした対応のまずさを受けて、平壌からは北朝鮮批判を含んだ記事が大量に発信された。金正恩時代のスタートを期して、平壌を宣伝しようとして招き入れた海外メディアだったが、作戦はまったく裏目に出た。

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執筆者プロフィール
平井久志
平井久志 ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。
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