クオ・ヴァディス きみはどこへいくのか?

チベットを手放さない北京の「二つの理由」

執筆者:徳岡孝夫 2008年5月号
エリア: アジア

 日本の男は「西域」と聞くと、明治いらい、なぜか心がときめく。敦煌、楼蘭、崑崙山脈、タクラマカン砂漠、ラサ、ホータンなどという地名に憧れる。どっちを向いて歩いてもすぐ海になって砂浜がある島国の民には、西域は砂あらしの晴れ間の蜃気楼のように魅力ある「無限」と感じられたからだろう。 NHKの「シルクロード」は、その幻想をさらに強めた。中国・中央電視台の協力を得て作られた番組は、東トルキスタン分離独立運動などには一言も触れず、西域の人々を砂漠を背に煙管をふかしながら一日を送る爺さんの国として描いた。 シナ人にとっても、西域は定義の怪しい空間である。紀元一世紀の『漢書』に早くも名が出ているが、普通は玉門関、陽関より西の広い夷狄の地を指した。日本人が好んだ別離の歌「更ニ尽クセ一杯ノ酒、西ノ方、陽関ヲ出ヅレバ故人ナカラン」の陽関である。ただし彼らの辺境の知識も時代によって伸び縮みし、チベットも西域に組み込まれる時期があった。いずれにしても西域は、漢字の通用しない地域である。文字が違えば文化も違う。

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執筆者プロフィール
徳岡孝夫(とくおかたかお) 1930年大阪府生れ。京都大学文学部卒。毎日新聞社に入り、大阪本社社会部、サンデー毎日、英文毎日記者を務める。ベトナム戦争中には東南アジア特派員。1985年、学芸部編集委員を最後に退社、フリーに。主著に『五衰の人―三島由紀夫私記―』(第10回新潮学芸賞受賞)、『妻の肖像』『「民主主義」を疑え!』。訳書に、A・トフラー『第三の波』、D・キーン『日本文学史』など。86年に菊池寛賞受賞。
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