軍事のコモンセンス (18)

「騎兵」と「歩兵」の「均衡」と「充実」(下)

執筆者:冨澤暉 2017年5月5日
エリア: 北米 アジア
陸上自衛隊第7師団第7偵察隊は、装甲偵察部隊だ [陸上自衛隊第7師団ホームページより]

 

 日本の騎兵の歴史はどうだったのであろうか。

 フランス帰りの秋山好古によって育成された日本騎兵は、日露戦争で赫々たる戦果を挙げ、同時に優秀な参謀将校を多く育成してきた。しかし、欧州中心の第1次世界大戦で火力の優越が大きなものとなると、「騎兵の終焉」が囁かれるようになる。

 1919(大正8)年11月から翌年4月にかけて、参謀本部第4部長(戦史・戦術・戦略担当)の国司伍七少将(士官候補生5期)と、当時騎兵第4旅団長であった吉橋徳三郎少将(士官候補生2期)との間に、乗馬戦闘全面廃止までにも及ぶ論争が『偕行社記事』上で行われ、陸軍の大騒動になった。これは同年8月の吉橋少将の割腹自殺で沈静化し、その結果か、後の騎兵操典改正でも、乗馬戦闘は徒歩戦闘と並ぶ戦術として維持された。

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
冨澤暉(とみざわひかる) 元陸将、東洋学園大学理事・名誉教授、財団法人偕行社理事長、日本防衛学会顧問。1938年生まれ。防衛大学校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。米陸軍機甲学校に留学。第1師団長、陸上幕僚副長、北部方面総監を経て、陸上幕僚長を最後に1995年退官。著書に『逆説の軍事論』(バジリコ)、『シンポジウム イラク戦争』(編著、かや書房)、『矛盾だらけの日本の安全保障』(田原総一朗氏との対談、海竜社)。
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