読者のみなさまの「ご意見」に応えて(下)西欧列強の「巨大なパイ」だった「明治期」中国

樋泉克夫
執筆者:樋泉克夫 2017年6月19日
五代友厚は薩摩藩出身で維新政府の参与も務めたが、後に官を辞し、大阪で実業家に転身。大阪経済発展に寄与した(C)国立国会図書館

 

 維新から5年が過ぎた明治5(1872)年、清国政府との間の最初の本格的外交交渉がまとまったことで、明治政府は外務卿・副島種臣を清国に派遣し、日清修好条規批准書交換を果たす。随員の1人である海軍軍人の曾根俊虎は、その後も複数回(明治6、7、9、12、13、17年)にわたって清国各地を歩いている。おそらく兵要地誌作りが主な目的だったろう。このうち明治6、7両年の体験を綴ったものと思われる『北支那紀行』(出版所不詳 明治8・9年)を読み進むと、こんな記述が目についた。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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