Bookworm (28)

伊東 潤『ライト マイ ファイア』

評者:縄田一男(文芸評論家)

2018年7月22日
エリア: ヨーロッパ アジア

「よど号」ハイジャック犯の中に
公安がいた―大胆仮説の力作!

いとう・じゅん 1960年、神奈川県生まれ。早稲田大学卒。2007年、『武田家滅亡』でメジャーデビュー。『城をひとつ』『悪左府の女』『修羅の都』など、著書多数。

 日本中を震撼させた「よど号」(作中では、「さど号」)ハイジャック事件の犯人の中に公安がいた、という大胆な仮説に基づいた意欲あふれる力作である。
 物語は、現在=平成27年と過去=昭和45年の2つの視点から事件を追い、ラストで、この45年間という歳月を経た日本の闇が暴かれる、という構成が取られている。現在の事件、すなわち、京急八丁畷(はっちょうなわて)駅近くの簡易宿泊所の放火事件を追うのは、寺島刑事。10人の被害者を出したこの事件で、最後まで身元の分からなかった男のものであると思われるノートの「1970」「H・J」の意味するものは何なのか。
 寺島は、高度経済成長期において、出稼ぎの人たちの宿舎として賑わった簡宿は、いまや、死を待つ弱者たちの絶望への終着駅でしかない、と思う。
 一方、過去の事件の主人公である公安の三橋は、偽名を用いて学生運動の群れに身を投じ、何と「さど号」ハイジャックの実行犯を命じられる。しかしながら、公安からも学生運動からも、自分は捨て駒なのではないのか、という疑念を払えない。そして三橋も、ハイジャック前夜、大阪万博に浮き足立った人々の姿を見て、「戦後、奇跡的な復興を成し遂げた日本の姿を世界に示すことが、それほど誇らしいのか」と、自分自身の抱く違和感を捨て去ることができない。
 この1巻は、何らかのかたちで司直の手先となった男たちの違和感との闘いの物語といわねばならない。
 そして、戦後日本はアジアの同胞を見捨て、アメリカの傘の下に入ることで物質的快楽を享受してきたのではあるまいか。さらに、こうした政治的動向をストーリーに絡めると、何故、公安は、ハイジャック犯を空港で一網打尽にせず、その決行を許したのか、といった本書の肝の部分が見えてくる。
 何しろこれは一篇のミステリーでもあるからして、私の書評も、作品のテーマのまわりをぐるぐると回り続けているが、作者の筆致は、最近の日本の右傾化、半島をめぐる政治的茶番までをも取り込み、この1巻を、本年度屈指の名作たらしめんとしている。
 従って、これ以上、詳しい内容に踏み込んで書くことはできないが、私たちは、すべてが終わった後、エピローグを読んでこういおうではないか。
 蟷螂(とうろう)にも、斧はあるのだ、と。
 正に充実の1巻といえよう。

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