男たちへ、女たちへ、若者たちへ

執筆者:塩野七生 2010年4月号
タグ: 日本 イタリア
エリア: アジア

これからの二十年、われわれ日本人は世界とどう付き合い、いかに生きていけばよいのか。編集部の問いに対して、ローマで『十字軍物語』を執筆中の作家・塩野七生さんから、書面で「処方箋」が届いた。

――この先二十年を考えたとき、日本は、結局、「政治大国(政治的に成熟した国家)」には一度もなれないまま、世界の中で存在を小さくしていくしかないように見受けられます。それで致し方ないのでしょうか。
塩野 一九九〇年代に入ってすぐの頃かと思いますが、亡くなる前の高坂正尭(国際政治学者)が私にこんなことを言っていました。
「今の経済不安を乗り越えられたら、日本は初めて経済大国になれるだろう」
 乗り越えるどころか「失われた十年」にしてしまったのだから、日本は、経済大国に手をかけたところで歩みを止めたということでしょう。しかし、国の歴史は、経済大国→政治大国→文化大国と進むのが理想的とされています。その中で、経済大国にもなれなかった日本が、政治大国になれるわけがない。なぜなら、本格的な経済大国になる経路で重要性を増してくるのが、政治なのですから。
 一九八〇年代、私の書く作品は多くの学者や知識人たちから批判されていたのです。
「キミの書く歴史上の人物のような強力なリーダーは、日本にとっては必要ないのだ」と。
 八〇年代と言えば、日本がナンバーワンになるかと、世界中が注目していた時代ですよ。ところがその日本の勢いを導いていく当の人々が、つまり日本のエスタブリッシュメントたちが、ナンバーワンになりたくないと言っていては、ナンバーワンになれるわけもなかったのです。国は、指導者が引っぱってこそ一本にまとまって、前にも増して勢いよく流れていくもの。その当事者たちがこうも腰が引けていたのだから、日本は、自分たちのほうから「いや、けっこうです」と言ったようなものです。
 こういう国って、世界の歴史の中でも珍しいのではないか。下品な言い方を使えばこの現象を表わす言葉はイタリア語にはあるのですが、それはここでは使えないので、「いざという時になって男であることを放棄した男たち」とでも言っておきましょう。
 日本が本格的な経済大国になり政治大国への道に入り始めることもできなかった原因のもう一つは、マスメディアを先頭にした日本人全体の政治への嫌悪の情にもあると思う。政治は汚いもので、政治家は無能で、という空気の中で、どうやれば有能な政治家が生れ育つでしょうか。こういう空気の中で政経塾を作った松下幸之助は、学歴もないのに偉い人だったのではと思うくらい。松下政経塾の出身者がほんとうの政治をわかっているかどうかは、別としてですが。
 いずれにしても、日本のリーダーたちにはついに、政治というものがほんとうに理解できなかったのではないかと思う。そして今なお、理解していないのでは? これでは政治大国になるなんて、夢のまた夢、で終わるしかない。なにしろ、ここぞというときに身体を張る、勇気に富む男たちがいないのですから。

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