橋田信介が残していった初めての決意表明

執筆者:樋泉克夫2004年8月号

 五月二十八日早朝、テレビから「バグダッド郊外で日本人ジャーナリストが襲撃された模様。詳細は不明」と聞こえてきた時、咄嗟に橋田さんだと確信した。というのも、あの時期のイラクの戦場で取材しているような日本人ジャーナリストは彼以外に考えられなかったからだ。その後の展開は、誰もが知っている。 戦場に斃れた還暦過ぎのジャーナリスト、悲惨な現実を前にたじろがない遺族。同じ戦場を舞台にしながら後味の悪さだけを残した二組五人の人質事件があっただけに、現場にこだわるフリージャーナリストの潔さと未亡人の凜としたすずやかさ、いわば「覚悟」と「志」の気高さに、多くの日本人は衝撃を受けたはずだ。 橋田さんと初めてことばを交わしたのは、八九年初めの頃。会社を辞め夫人と共に個人事務所をバンコクに開いた前後だ。場所はバンコクにある某テレビ局オフィス。ユラユラと揺らぐ長身、人懐っこい口調、笑えない冗談……どうしようもない技術屋のオッサンというのが、偽らざる第一印象だった。しばらくして後、あるタイ人記者からジャーナリズムの世界では伝説中の人、ベトナム戦争以来の歴戦の戦場カメラマンだと知らされたが、それでも賢夫人の尻の下でニヤニヤしながら暮らすノーテンキなオヤジにしか見えなかった。

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