UFJ信託と住友信託の統合話からすべては始まった。三菱東京、三井住友の二大金融グループを巻き込んだ再編劇の知られざる内幕を明かす。 UFJグループと三菱東京フィナンシャル・グループの経営統合の発端は「信託戦争」だった。もはや「都市銀行の付属物」としかみられていない信託銀行。しかし、そのなかにあって三菱信託銀行と住友信託銀行の激しいライバル関係を業界で知らない者はいない。特に、三菱信託会長の内海暎郎と住友信託社長の高橋温は入社年次も一九六五年と同じ、社長就任も一年違うだけで、お互いにライバル意識を剥き出しにする。この二人の戦いが三菱東京と三井住友フィナンシャルグループの「全面対決」を誘発した。 UFJ銀行が窮地に陥ったのは五月の連休明け。検査で不良債権があぶり出され、抜本的な経営改革を迫られた。生き残るには海外から撤退して国内銀行になるか、グループ傘下の銀行などを売却して売却益で自己資本を拡充するか。最後の手段として他の大手銀行に救済合併を申し入れるか。選択肢は限られていた。 海外からの撤退も考えたが、UFJの強みである中堅・中小企業取引にとって、アジア、特に「中国からの撤退は中長期的に銀行をさらに弱体化させる」(UFJ銀行OB)との判断で真っ先に消えた。そこでUFJは「関連会社のバーゲンセール」を始める。まず、経営再建中だが信販大手として顧客基盤のあるアプラスを売りに出す。そして虎の子のジェー・シー・ビー(JCB)までも売却しようと検討していた矢先、金融庁幹部から呼び出しがかかった。

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