流血の鎮圧か妥協か

執筆者:徳岡孝夫2011年2月14日

 中東の国の首都には、どこにも同じ光景がある。私がバグダッドの大統領官邸を実際に見たのは50年近い昔で、官邸の主は後にサダム・フセインらに倒された男だった。だが、今も似たようなものであろう。  官邸の周囲には、二重三重に有刺鉄線が張られ、武装した兵士が警備している。車を3分も停めて眺めようものなら、険しい顔で「早く行け」と小銃を振って追っ払う。  日本の官邸のような、お巡りさんではない。攻められても、親衛隊が救いに来るまで持ち堪えられる武器を持って守っている。そしてもう1カ所、国営テレビ局にも同様の防衛線がある。    つまり中東の独裁国では、独裁者もそれを倒そうとする勢力も、1つの点で合意している。それは、「権力とは(物理的な)力なり」という1点である。権力の正当性や独裁者の正邪、統治力などは二の次にされ、腕っ節の強い者が権力を握り、握り続ける。  ムバラク大統領は辞任した。だが、チュニジアの市民革命から感染したエジプトの大騒動は、これを書いている時点でまだ結末が見えない。軍が今後どう動くか、即断しない方がいい。    私が見た限りの新聞では誰も書いていないが、私はエジプトの騒ぎを見てミャンマーの最近の「民政移管」を連想した。

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