開発主義と新成長戦略(その1)

執筆者:平野克己2011年2月27日

 リビアがいま燃えている。日本には専門家がいないに等しい国だから、マスコミは若手研究者や駐在経験者を探しまわり、われわれの研究所も歴史や国情の断片を掻き集めて、なんとか状況を理解しようと、付け焼刃のジグソーパズルを組んでいる。
 チュニジアとエジプトで起こったことは、大きな括りでいえば「市民革命」であろう。それは宗教家が先導したのではなく、部族対立でもなく、政党の出番すらなかった。カダフィによって封印されてきたリビアの部族社会がどのような展開になるかはまだ分からないが。

 アラブ圏の政治はあたかも18世紀ヨーロッパにおけるフランスの如くであった。民主化の流れに後れをとり、アンシャンレジームが行き詰まり、そこに食料価格の高騰が襲う。バスティーユ襲撃前夜に、その状況は酷似していた。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』史観に立つならば、フランス革命にしてもジャスミン革命にしても、社会が歩を進める唯一無二の道標となった「自由民主主義」が、旧態依然の権力を粉砕したということになるのだろう。フランス革命後の血腥い推移が、アラブ世界の将来に影差している。

 フクヤマ史観を経済の場においてみると、自由民主主義に対応しているのは、資本主義ではなく市場主義である。自由民主主義と同様に市場主義も、「新自由主義」という政策思想になって、1980年代後半以降の世界でドミナントな推進力になった。その波及力は、当時の社会主義圏や開発途上国にも及んだ。
 そのなかで唯一、新自由主義のカウンターパワーであったのが、東アジアの開発主義だったといえる。政治学では開発主義国家論として論じられ、経済学では輸出志向型工業化モデルとして研究されてきた。当時すでに開発競争に敗れ衰退過程にあった社会主義国家とは別の、急成長する東アジア諸国に関する研究だった。
 この議論は1997年アジア通貨危機以後鳴りをひそめていたのだが、中国の台頭で再び掘り起こしてみる意味が生まれたように思う。中国経済の発展を社会主義の勝利とみる人は、中国においてすら皆無だろう。だからといって、これを新自由主義政策の成功だとは、IMFでもいわない。となれば、これを論じるフレームは開発主義国家論しかないのである。アジア経済研究所が2月16日に開催した国際シンポジウム「21世紀の経済発展における政府の役割とは?」は、そういうコンセプトを背景にもっていたので、開発主義再考を作業仮説にしていた。

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