エジプト、リビアとアフリカ連合

執筆者:白戸圭一2011年2月28日

 かつて米国のレーガン大統領がカダフィ氏を「中東の狂犬」と罵ったことにみられるように、一般的に我々は、リビアを「中東」の国として分類しています。新聞社内でも、リビア情勢をフォローしているのはカイロ支局であり、サハラ砂漠以南を担当するヨハネスブルク支局やナイロビ支局ではありません。

 私は中東情勢に詳しくありませんが、カダフィ氏が政権を掌握した1969年当時は、まだ「アラブ民族主義」がそれなりの輝きを放っていた時代であったと理解しています。そうした時代状況の中で、エジプトのナセル元大統領に心酔していたカダフィ氏は「アラブ民族主義」の後継者を自任していたでしょうし、また、中東政治の主役でありたいと願っていたでしょう。

 しかし、その後の国際政治をみれば、アラブ民族主義は色褪せ、東西冷戦終結後の中東政治の焦点はイラクのサダム・フセインの動向であり、イラン政治の動向であり、国際テロ組織アルカイダの動向でした。カダフィ氏は2003年に大量破壊兵器開発計画を放棄した際に久々に国際的な注目を浴びましたが、国際政治の場で主導的役割を発揮する機会はほとんどなかったと言えるでしょう。

 そうした状況下で、カダフィ氏は1990年代以降、自国を「中東」ではなく「アフリカ」の一国であると規定し、アフリカに軸足を置いた外交を展開してきました。中東の主役の座を失ったカダフィ氏にとって、貧しい国がひしめくアフリカ大陸は、豊富な石油収入を武器に我が物顔で振る舞える格好の舞台だったのだと思います。

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