窓越しの墓場

執筆者:徳岡孝夫2011年3月10日

 クライストチャーチまで、「ウチの娘」の死に顔をせめて綺麗に拭いてやりたいと願って行った富山県の親たち。山のような瓦礫の下敷きになり、「おかーさん」と呼ぶ間もなく短い命を絶たれた娘。親と子は生死の挨拶をすることすらできず、かつて語学学校だった穴の前を徐行するバスの窓から、無言のうちに別れた。  我が子に、かけてやりたいと思っていた別れの言葉を呑み込み、無言の親たちは空手で帰らねばならなかった。箸が転んでも笑う年頃だった。親と子のこれほどむごい別離を聞いて、私は瞑目したが、言うべき言葉がなかった。何という無慈悲か。神を恨むだけだった。  ニューヨークの9.11テロの廃墟のほとりに立ったときも、私は同じような無言に追い込まれた。頭を垂れて合掌すること以外にすることがない。私は無言で巨大な穴―nothingness―の前に立っていた。  ニュージーランドのは天災、ニューヨークの破壊は人間の業である。だが人の行為も、その規模が一定以上に大きくなれば、一種畏敬に近い感情を生き残った者の胸に生む。世の中とは、人の想像力を超えた出来事の起る場所である。  被災者の捜索が打ち切りに近付いていた3月1日は、死神のような地震がニュージーランドを襲ってから、ちょうど1週間だった。揺れが来たのと同じ時刻に、捜索隊は一時作業を止め、全員が2分間の黙祷を捧げた。瓦礫を掘り起していたブルドーザーやショベルカーは一斉にエンジンを切り、クライストチャーチの町はしばしの静寂に沈んだという。

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